尖閣諸島問題一考察   2014年4月28日 

 

 

1 はじめに

 

廃藩置県で琉球王国から沖縄県へ

 

  国家の三要素は「国土」「国民」「主権」といわれる。国土とは、国家の領域のうち陸地、河川・湖沼などの内水域や付属する島嶼(とうしよ)である。領海や領空は領土に従属し、領土は国家の中心的な構成部分である。広義では,国家の領域全体を領土とよぶこともあり、狭義の領土には最も強い国家の排他的支配権が及ぶのは当然である。

 

 近代国家としての日本は、1867年の大政奉還により江戸幕府が終焉し、1868年明治政府が始まると中央集権体制を確立するため1871年から廃藩置県を行った。明治政府は、1872年に「琉球王国」を強引に「琉球藩」にし、松田道之琉球処分官を再三琉球入りさせて強制的な収用を図り、1879年には軍隊300名余、警官160名余を率いて首里城に入り、城の明け渡しと廃藩置県を布告した。最後の琉球国王(琉球藩主)尚泰王は侯爵として東京に居を与えられ、「琉球」は、1879年に47番目に「沖縄県」として編入され、日本の領土となった。

 

「琉球王国」は約500年の間、独自の歴史と文化を形成し「万国津梁」の懸け橋としての交易国であった。1609年に島津藩が琉球に侵攻し、武力による併合を強要される状況もあった。琉球はいつから日本になり、沖縄になったのかというと、明治政府の廃藩置県制度により「琉球国」から1872年「琉球藩」、そして1879年「沖縄県」となった。1899年に国籍法が施行され、沖縄人は「日本人」となったと説明されている。

 

清国の対応は

 

琉球では、廃藩置県に反対する者も多くあり、禁止されていたにも関わらず清国に救済を求めて清国に密航する者もいた。隣国であり、琉球国王に対して冊封する関係にあった清国は、明治政府の廃藩置県での琉球への関与に反発し、両国関係には緊張が走った。明治政府は、琉球は日本に帰属しているということを清国に認めさせる必要性を感じていたと思われる。

 

1871年、首里王府からの帰途についた宮古船の1隻が台湾近海で遭難し、漂着した54名が台湾原住民によって殺害されるという宮古島島民遭難事件が起きた。明治政府は、宮古島島民殺害事件について清国に抗議し、責任と賠償を請求した。しかし、清国は台湾生蛮とは無関係として拒否したため、1874年明治政府は台湾出兵し、台湾生蛮は征討されたのである。清国は全権大使を台湾へ派遣し日本国へ抗議したが、日本側は殺害された宮古島島民の賠償金と征台に要した費用を清国に請求し勝ち取ったのである。このことで琉球を日本領土であることを清国が公然と認めたと判断し、日本政府は琉球藩の解体、沖縄県の設置をすすめたと思われる。

 

清国は日本国へ台湾の件で賠償金を支払うことになったものの、依然としてして琉球の帰属問題に不満を持っていた。丁度、その時グラント元米国大統領が清国を訪問しており、琉球問題を聞くにつけ日本国との仲裁を引き受けた。1879年グラントは仲裁案として「琉球を三分し、奄美を日本に、沖縄本島は独立、先島は清国に」という分島案を提案した。ちなみに先島とは宮古諸島と八重山諸島のことである。


 日本政府はこの案を受け入れることにし、条件として最恵国待遇条約の追加と引き換えに先島諸島を割譲するという提案をした。清国も一度は応じたが、反対意見もあり正式調印にはいたらず、琉球帰属問題も棚上げ状態になった。明治政府は廃藩置県で併合した沖縄県先島をより大きな国益と取り換えようとしたのである。この琉球帰属問題は日清戦争を経た後、1895年の下関条約により、清国は台湾および琉球は日本の領土であることを認めざるを得なくなった。国と国との交渉とはいえ当該住民の意志を無視する日本政府の上意下達の本性が垣間見える。

日本の領土になった尖閣諸島

 

尖閣諸島はいつから日本の領土になったのか。明治政府は1879年の廃藩置県後、沖縄県から尖閣諸島の領有についての上申書を受け、1885年以来数回にわたって、沖縄県当局を通じ尖閣諸島を実地調査した結果、尖閣諸島が清国に所属する証跡がないことを確認した後、国際法上の「先占の法理」に基づき、1895年に国標建立の閣議決定を行い、日本の領土に編入した。翌1896年勅令13号で「沖縄県石垣市登野城魚釣島2392番地、南小島2390番地、北小島2391番地、久場島2393番地、大正島2394番地」の地番が付され、尖閣諸島は沖縄県石垣市の行政区域となった。尖閣諸島は、東シナ海の南西部にある島嶼群。石垣島北方約130 〜150kmの、北緯25度43分〜 56分、東経123度27分〜124度34分の海域に点在する。

1952年のサンフランシスコ講和条約で、琉球政府の行政区域として沖縄諸島とともに尖閣諸島も米軍の施政権下に置かれ、1972年の施政権返還で日本政府に返還された。

 

日本国憲法と地方自治法等では国内法では「領土」という表現ではなく、「国土」「行政区域」「地方自治体」と示される。「沖縄県」は、日本の領土に編入される以前の「琉球王国」由来の民族的な「自己決定権」はあるだろうか。地方分権が進み「地域主権」という概念さえ論じられるようになった昨今、「国と地方の在り方」は「上・下関係」ではなく、役割を分担した「対等な関係」が民主主義国家での地方自治体でありたい。

 

ロシアが実効支配している「北方領土」は、日本の「領土」とはいうが「国民」「主権」が欠如しており。韓国警備隊が常駐して韓国が実効支配している「竹島」は、日本の領土いうが「国民」「主権」が欠如している。日本が開拓や居住等による有効支配してきた「尖閣諸島」は、今は無人島となっており「領土」「国民」「主権」の国家三要素が国際的にどれだけ認知されているか不安である。その意味において、「琉球」または「沖縄」にとって「尖閣諸島」とは何かを検証してみることも必要である。

 

 

2 我が国の国境と領土問題

 

北方領土

 

 日本政府は、わが国の領土である「北方4島」、「竹島」、「尖閣諸島」の国境問題を先送りしてきた感が否めない。「北方4島」はヤルタ会談での戦利品といわんばかりに太平洋戦争終戦時にソビエト軍が突如、侵攻して1万7000人余の日本人居住者を追い出し、現在はロシア人約2万人が居住しており、ロシアが実効支配している。2011年8月下旬に「ビザなし交流」で、北方四島のうち「国後島(クナシリ)」と「択捉島(エトロフ)」に上陸して島内を視察したが、道路、港湾、空港、病院、学校、水産加工場、商店街等住民の暮らしは充足しており、今後の返還交渉の厳しさを実感した。

 

一方で、領土問題は進展しないにも拘らず日ロ漁業協定で、日本は毎年多額の漁業協力金をロシアに支払って中間線周辺で操業している実態を北海道根室振興局水産課の説明で知った。メドベージェフ・ロシア首相は北方4島の国後島を訪問し、「島々はサハリン州の重要な一部であり、ロシアの領土の重要な一部だ」と強調した。ウクライナ問題で、ロシアと欧米諸国の対立が続いている中、プーチン大統領と安倍総理大臣との外交対応が注目される。

 

 

 

竹島

 

韓国の李承晩大統領が太平洋戦争直後に、竹島と日本の間に李承晩ラインを宣言して竹島に軍隊を常駐させて以来、韓国が実効支配をしている。サンフランシスコ講和条約で「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱凌島を含む朝鮮に対する全ての権利、権原及び請求権を放棄する」と宣言され、竹島は日本の領土と確認された。ところが、講和条約翌年に、韓国の李承晩大統領は排他的主権領域として竹島を含む平和線(李承晩ライン)を宣言した。以後、平和線以西で操業中の日本漁船が拿捕される事件が相次ぎ、朴革命政権は、経済再建資金として日本殖民統治の被害に対して8億ドルを請求し、日本は漁業権を確保することと引き換えに6億ドル支払うことで決着した。日韓両政府は「平和線と専管水域12マイルの間を共同漁業資源水域とする日韓漁業協定を結び、日本にとっては念願の漁場を確保した。竹島問題は、解決せざるをもって、解決したとみなす。両国とも自国の領土であると主張する事を認める」と密約したが、韓国の警備隊配置等の実

効支配を容認している。

 

2011年8月上旬に、韓国での日・中・韓平和学術交流会議に出席したが、懇親会では「竹島」を「独島」と呼び「領有権」を前提とした論調に驚愕した。李明博・韓国大統領が竹島を訪問し「領有権」をアピールした。安倍総理大臣の歴史認識や慰安婦問題に関する発言で韓国の不信感を募らせ、朴槿恵韓国大統領との関係は冷え込んでおり話し合いのできる状況にない。

 

尖閣諸島

 

尖閣諸島は、1895年に閣議決定により日本の領土として編入された「先占」の無主地である。ところが、太平洋戦争後の米軍統治下にあった1968年に国連アジア極東経済委員会が周辺海域に豊富な石油資源が埋蔵されているという調査結果を発表すると、尖閣諸島海域に次々と石油鉱業権が出願され石油鉱業権争奪戦の舞台となった。1970年中華人民共和国や中華民国政府(台湾)が尖閣諸島の領有権を主張し、琉球政府も領土権の声明を出した。

 

1971年沖縄返還協定について、中華人民共和国外務省は「釣魚島、黄尾島、赤尾島、南小島、北小島などの島々は台湾の属島である。米日両国政府が沖縄返還協定の中で我が国のこれらの島々を「返還」に入れた事は全く不法である。中国人民は必ず開放する」と声明を出した。中国の主張は「歴史的に中国の領土である」と主張し、日清戦争の終結による1896年4月17日の「下関条約」締結の前年に、戦況の有利な展開を背景に台湾割譲をさせる講和条件を突きつけ、「中国に通知しないままに閣議決定して尖閣諸島を日本の領土に編入した」と批判している。戦後処理では、1943年のヤルタ会談と1945年のポッダム宣言により「中国から略奪した領土、台湾に属する尖閣諸島も含めて放棄すべき」と主張している。

 

2004年4月14日付の台湾紙・中国時報は、中華民国・台湾の北東部の宜蘭県当局が、尖閣諸島(中国名・釣魚島)を「中華民国」の「領土」として登記したと報道した。県当局は内政部(内務省)の指示を受けて登記を公告、2月末に正式手続きを終えたという。

 

1972年に日中共同声明で国交正常化して41年目となるが、尖閣諸島については1978年に日中平和条約が締結されたとき、ケ小平・中国副首相が「この問題に触れないということで一致した」と述べ、次の世代での解決まで「棚上げ」された。しかし、「棚上げ」の真意について日中両政府の解釈は必ずしも一致してはいない。

 

尖閣諸島の一触即発状況

 

2010年9月7日、尖閣諸島北西海域で我が国の第11管区海上保安本部所属の巡視船に中国漁船が衝突する領海侵犯事件が発生し、中国漁船の船長は公務執行妨害により逮捕されたが、後日処分保留で釈放され中国政府が用意したチャーター機で中国に帰還した。中国政府は、尖閣諸島の領有権を主張し「巡視船が漁船の進路を妨害した」と抗議している。

 

2012年8月15日、香港活動家14人が民間抗議船で尖閣諸島海域に領海侵犯し、7人が泳いで魚釣島に不法上陸し、その内の2人は着船したため5人が石垣海上保安官や八重山警察署員によって入国難民法違反で現行犯逮捕された。しかし、那覇検察庁に事件送致されることなく、2日後の17日には強制送還という決着で釈放されることになり7人は民間航空機で、他の7人は民間抗議船で香港に帰還した。

 

8月19日には尖閣周辺海域で、超党派の国会議員で構成する「日本の領土を守るために行動する議員連盟」(会長・山谷りえ子自民党参議院議員)が尖閣列島戦時遭難死没者洋上慰霊祭を実施し、同行した「頑張れ日本 全国行動委員会」の水島総幹事長ら10名が泳いで魚釣島に上陸した。借地権者の日本政府から上陸許可は出ていないが、八重山警察署は事情を聞いただけで釈放した。「日本政府はへっぴり腰でも国民は違うんだということを示すことができた」と政府の対応を公然と批判しており、今後、エスカレートして尖閣諸島周辺の不安が広がることが懸念される。

 

2012年4月、当時の石原慎太郎東京都知事は中国政府に対する対抗手段として、尖閣諸島の所有者と相談の上、買い取り計画を表明した。東京都による土地所有者への動きを受けて日本政府は対応策として2012年9月11日、当時の野田内閣は尖閣諸島の国有化を閣議決定し、土地所有者から20億円余で買い上げた。中国政府は日本政府の国有化に激怒して反発を強め、連日のように中国海警局の公船を尖閣周辺水域に航行させ、頻繁に領海侵入を繰り返し、第11管区海上保安本部の巡視船の警告に対して「中国の管轄海域で定例のパトロールを行っている」と応答している。現在、中国公船による尖閣周辺の領海侵犯は続いており、第11管区海上保安本部の巡視船は領海の取締りを強化しているが、一触即発の状態である。

 

警察・海上保安庁・自衛隊の現実的対応の可能性

 

 かつて、対談した軍事評論家から「近々、中国漁船が大勢押しかけ、尖閣に強行上陸するという情報がある」ということを聞いたことがある。ありえない話ではない。中国海警局の公船が連日のように、尖閣諸島周辺の領海侵犯を続けている。一触即発を想定した対応はどうなるだろうか。報道される内容から推測すると、中国当局と連携した中国漁船が緊急避難や難破を理由に計画的に尖閣に上陸することを想定した場合、石垣海上保安庁は先ず領海であることを警告し、領海から侵入船を撤退させるような「海上警備行動」をする。しかし、上陸を強行した場合、沖縄県警察は通報により八重山警察署所属の警察官が現場に急行し、出入国管理及び難民認定法違反の現行法で逮捕する「治安出動」する。相手が、抵抗して武器で応戦した場合、中国海警局の官憲が自国民の保護を理由に上陸してくる。日本政府は、海上保安庁や警察では対応できないと判断し、もし、自衛隊の治安出動に踏み切るなら、中国側は「日本が軍事行動を仕掛けてきた」と国際社会に訴え、海軍を送り込んでくる。日本政府は、防衛出動を検討するが、武力衝突に発展しかねないとの慎重論もあり、発令するかどうか判断を迫られる。

 

 安倍政権は、自衛隊が中国から武力攻撃には至らない場合でも、治安維持を目的とする警察の「治安出動」や海上保安庁による「海上警備行動」では対処できない事態を想定、自衛隊に新たに「領海警備」の任務を付与することを検討している。警察と海上保安庁の活動で対処可能な事態と自衛隊が治安出動や防衛出動する本格的な事態との中間の法的枠組みで、自衛隊が不法侵入を取り締まる領域警備の任務を付与することで、平時から「外国軍」と認定できない場合でも自衛隊が領域警備権限を拡大して対処しようというものだ。

 

 

 

 

米国の対応はどうなるか

 

 米国は、尖閣諸島は日米安全保障条約の範囲としているが、尖閣諸島の「領土問題」に日米同盟としてどのようにかかわるかは不明である。寧ろ、日・中が武力衝突をおこし、中国軍が尖閣諸島や周辺諸島を武力制圧した頃合いを見て、国連を動かして停戦・仲裁斡旋に動き、一旦停戦状態としたうえで「漁夫の利」というべき停戦利権を確保するようなシナリオを予測する声もある。

 

日米同盟や米軍の抑止力を盲信する我が国の対応策では、八重山・宮古島は生贄にさらされ、国民は「中国の軍事力による領土侵略を許すな。軍備増強による国土防衛だ」といういつか来た戦争への道を進むことになるのではないだろうか。日本に戦闘機やイージス艦、ミサイル等を売り込めるチャンス到来を米国の軍需産業は期待しているかもしれない。

 

日本政府は、尖閣諸島については日本固有の領土として有効に支配しており、第11管区海上保安本部の巡視船を連日配備して警戒警備に当たっている。一方、日米両政府は「尖閣諸島は日米安保条約の対象」という認識を表明しているが、米国の関与については不透明な部分がある。それは、沖縄返還時の「行政権」返還時に「・・・これらの島についてのいかなる係争の要求も当事者が互いに解決すべき事柄である」と表明をし、1996年9月11日米国務省のバーンズ報道官は「米国は尖閣諸島の主権に対するいかなる国の主張も認めもしなければ支持もしない」と発言しているからである。オバマ大統領は「平和的な解決」を提起している。

 

2014年4月訪中したヘーゲル米国防省は常万全国防省との共同記者会見で、中国が領有権を主張する尖閣諸島をめぐり、日米安保条約に基づく日本防衛義務を果たす考えを表明したが、常氏は「領有権で一切妥協はしない。領土を守る必要があれば軍事力を行使する用意がある」と激しい応酬があったと報道された。

 

琉球王国と尖閣諸島

 

琉球王国時代の尖閣諸島の領有関係はどうであっただろうか。尖閣諸島は、廃藩置県以前いわゆる琉球王国時代はどこの国の属島でもなく無主地で、中国福州と琉球との間の航海での東シナ海上の航路標識であったと記されている。最初の記録は1534年明国の冊封使・陳侃が記した「使琉球録」で釣魚台、黄尾嶼、赤尾嶼等、現在の尖閣諸島と思われる島名を記述しており、以降の文献等には同様の島名が使用されている。「使琉球録」によると「釣魚嶼、黄毛嶼、赤嶼を次々と通り過ぎ、・・・その後、11日の夕方に古米山が見えた。これは琉球に属するもので、夷の人は舟上で歌い踊り、故郷への到着を喜んでいる」と記されている。古米山とは久米島であり、夷人とは琉球人のことであり、「久米島は琉球に属する」という記述がある。

廃藩置県以前の、「琉球」の認識については1562年の冊封使・郭儒雲の「重編使琉球録」では「5月1日に釣魚嶼を通り過ぎ、3日には赤嶼についた。赤嶼は琉球との境にあたる山である」と記述されている。

 

1719年の冊封使・徐保光は琉球で研究に専念し、琉球の地理学者や王朝の執政官らと交流し、「中山伝信録」を書き記したが、「久米島は琉球の西南境界の山・・・与那国島は琉球南西の最果ての境界」と記している。1650年に向象賢(羽地朝秀)は「琉球国中山世鑑」を記したが「赤嶼以西は琉球の領土でない」、1708年に程順則は「指南広義」で「久米島は西南の境界の山」と記している。「中山伝心録」では琉球滞在中の見聞の結果として、琉球36島を記しているが、その中に尖閣諸島は含まれていない。

 

中国の記録によると、日清戦争の前年1893年10月、西大后は薬剤採取地のために釣魚島、黄尾嶼、赤尾の3島を盛宣懐という人に財産として与える詔書を発したという。盛宣懐が献上した丸薬は効果が非常に高く、薬の原料は釣魚台のもので、薬局を開いて多くの民を助けたことが賞賛されたためという。また、1879年、清国の北洋大臣・李鴻章が日本と琉球の帰属を交渉した際、中日両国は琉球が36の島でできていることと確認しており、そこに釣魚島などの島々は含まれていなかったという。

琉球王国と明国、清国の交流の中で、これらの島々についての共通の時代考証はどう考えるべきであろうか。歴史的にも国際法上も、合法的な「先占」の条件の一つである「無主地」であることは、尖閣諸島は琉球王国の属地であったということを認めないことにもなる。廃藩置県後の明治政府の領土編入に伴う慎重な実地調査に根拠を見出すことができるだろうか。

 

 

3 日本領土としての尖閣諸島

 

日本領土編入の経緯

 

日本による魚釣島の初めての調査は、日本政府の「日本外交文書」第18巻によると、沖縄県令の西村捨三が内務省から尖閣諸島等の無人島調査の命を受けて調査した結果を報告している。「中山伝信録に記載されている釣魚台、黄尾嶼、赤尾嶼と一緒なら清国との関係が懸念される」旨の報告であった。内務卿山形有朋らは調査報告に満足せず、再調査をさせたが国標を建てることには慎重であった。

 

1885年に日本郵船出雲丸をチャーターして尖閣諸島を調査した沖縄県属石沢兵吾の9月22日の調査報告書によると、中国と沖縄間を度々航海した大城永保からの聞書として、尖閣諸島は漁業資源は豊富だが地形的に開拓は不便等の理由により無人島で、航海標識として琉球名と中国名を既に有していたという。琉球名で釣魚台は魚釣島、黄尾嶼は久場島、赤尾嶼は久米赤島(大正島)と報告されている。1885年10月21日に外務卿の井上馨が、内務卿・山形有朋に送った書簡には「調査は秘密裏に行い、清国の国際的な異議・反対を避ける必要がある」と念を押し、同年11月25日に沖縄県令に西村捨三が再度国標建設の伺いを立てても尚慎重な対応姿勢を崩していない。

 

内務卿・山形有朋と外務卿・井上馨は清国政府との関係から国標を建てる事には慎重を期して協議をし、1885年10月21日外務卿・井上馨は「沖縄県と清国との間に散在する無人島に国標を建てることは延期したほうがよろしいか」という内務卿・山縣有朋からの照会に対して、「この際、公然と国標を建てる事は清国の疑惑を招くので、国標を建て、開拓に着手することは、他日の機会に譲ったほうが良い」と回答され、同年11月30日に「建設は不要である」という指令が沖縄県令に出された。

 

同調査の後、数多くの漁業者が好漁場を求めて尖閣周辺の海域に出漁し、1893年沖縄県知事・奈良原繁は漁業取締りの必要性から、再度の国標建立を上申した。1894年12月27日内務・外務大臣は対応を協議した結果、「異議」がないことを確認し、1895年1月14日に国標建立の閣議決定を行い、正式に尖閣諸島を日本の領土として沖縄県の管轄に編入した。翌1896年4月1日勅令13号で「郡制の沖縄県施行、沖縄県知事は尖閣諸島を八重山郡に編入後、国有地に指定」し、はじめて国内法上の領土編入がなされた。1902年、沖縄県土地整理局によって地番と地籍が設定された。これにより、日本政府は国際法上、合法的な「先占」と主張しているが、「先占」の要件でもある国際的な告示があったと判断されるかどうか気になるところである。

 

尖閣開拓の事情

                              

1890年には無人島の調査の結果が広まり、尖閣諸島への出漁が最近増え、久場島や魚釣島への糸満人の出漁は総計78名で、最近では現地に小屋掛けし漁業に従事していると報告した。糸満漁夫の漁獲物は重に夜光貝やアホウドリ羽毛等であり、背景には古賀辰四郎氏等の県外からの寄留商人たちが海外輸出を目的に大量に買い取っていた。

 

福岡出身の古賀辰四郎氏は、1879年に那覇に古賀商店を構え、1882年には八重山大川村に古賀支店を開設した。古賀氏は夜行貝殻等の海産物を中心に沖縄の物産を海外に輸出して財を成した。尖閣列島での鳥毛、鱶鰭等の事業進出を計画し、1884年ごろから調査を行い、1885年に尖閣諸島の開墾を政府に出願した。県属石沢兵吾の調査は漁業取締の必要から尖閣諸島等の無人島調査を行ったと考えられる。

 

古賀氏は10年後再度開拓許可を出願し、1896年に政府から30年間の無償貸与許可が下りた。翌年、魚釣島に開拓村(俗に言う古賀村)を建設し、最盛期の1909年頃は約248名、99戸が移り住んでいたという。鳥毛採取事業は1911年まで、燐鉱石採取事業は1916年まで、鰹漁業は1940年まで経営し、通算44年間事業を行った。

古賀氏は尖閣諸島での開拓と海産物商としての実績が認められ、1909年藍綬褒章を受章した。1918年古賀氏の逝去に伴い、事業は息子の古賀善次氏に引き継がれた。1926年に国有地の無償貸与期間が過ぎたため、その後は1年契約の有償貸与に切り替えられたが、1932年借地人の古賀善次氏の要請により払い下げられ、南小島、北小島、魚釣島、久場島は個人有地となった。尖閣諸島における古賀商店の事業は次第に縮小され、代わり県外の鹿児島や台湾からの鰹漁業が急増した。太平洋戦争が激化する頃には尖閣諸島における漁業はほぼ途絶えた。

 

太平洋戦争後の尖閣諸島

 

戦後の尖閣諸島は、1953年12月25日の米国民政府布告第27号が発布され、琉球列島の地理的境界が「北緯24度、東経122度区域内」と定められ、米国民政府と琉球政府が管轄することになり琉球政府の行政区域として尖閣諸島の帰属が明らかになった。

 

1972年の沖縄返還協定によって、尖閣諸島は琉球政府の行政区域の「日本の領土」として返還された。日本復帰後は、日米地位協定に基づき久場島(黄尾嶼)と大正島(赤尾嶼)は米軍の射爆撃場として提供施設になっており、米軍提供施設区域にある国有地に対して交付される国有施設所在市町村交付金が、毎年石垣市に支出されている。その後、1974年から2002年までの間に尖閣諸島5島の内大正島を除く4島(魚釣島、北小島、南小島、久場島)は「国有地」が払い下げられ「私有地」となり、相続登記や売買移転を経て埼玉県在の栗原弘行氏等の所有となったが、2002年に総務省が国境保全のために魚釣島、北小島、南小島、久場島を年間約2540万円余で賃借して管理してきた。

2012年に石原慎太郎東京都知事が突然買い取りを表明したことが発端となって野田内閣は尖閣諸島の国有化の方針を閣議決定し、日本政府は魚釣島、北小島、南小島の3島を20億5千万円で買い上げ「国有地」とした。久場島は私有地として残り、大正島は国有地のままである。この国有化が、自国の領土と主張する中国政府の反発を招き、抗日政策と中国公船による領海侵入を常態化させている。所有権保全対策としての国有化方針について、中国政府に丁寧に説明をして理解を得られるような慎重な対応をすべきであった指摘せざるを得ない。

 

中国は「領土問題は棚上げ」と説明し、日本政府は国民向けには「尖閣諸島は我が国の固有の領土であり、領土問題は存在しない」と主張して決着の糸口は見えない。かつて、内閣府の沖縄振興審議会において、沖縄振興特別措置法に基づく沖縄振興策の一環として尖閣諸島を「指定離島」に追加するよう進言したが日本政府は即答を避け、対応する気配はなかった。更に、沖縄県当局に対しても、国設鳥獣保護区域指定や産業遺跡等の文化財指定をして保護策を講ずるべきだと提言しても取り合わなかった。日本の領土であることについて、世界の国々の理解と協力を得る努力さえもしていないのは気になるところである。

尖閣諸島周辺海域での台湾漁船等の操業

 

太平洋戦争後、台湾の漁民が尖閣諸島周辺で多数操業するようになっていたことは事実である。戦後、アメリカ軍が久場島と大正島を実弾演習地域として使用してきたこと、また1955年に魚釣島領海内で沖縄船第三清徳丸が国籍不明のジャンク船2隻に襲われ、3名の乗組員が行方不明になるという事件が発生したこと等の理由によって、沖縄漁民が生命や身体の危険を恐れて次第に尖閣周辺で操業しなくなった。そのため1950年代の末頃から台湾漁船の数が急激に増大し、年間延べ3000隻の台湾漁船が操業するようになったといわれる。 また漁業をおこなっているだけでなく、海鳥の卵を採取したり、飲料水の補給、休養、水浴などの目的でしばしば尖閣列島に上陸していた。(注 上陸する島及び上陸する地点は、主として、水浴、休養,飲料水の補給を目的として魚釣り島の北岸と南岸、カツオ鳥の卵を採取するために北小島の南端、飲料水の補給などのため南小島の北岸である)。

 

 ところで基隆を漁港とした漁船の操業は、1919年の日本水路誌によれば「毎年五月から八月の期間、基隆港より発動機艇をもって此島附近に鰹漁に来るものもあるも、多くは早朝来って夕刻には出航帰航するを常とする」とあり、また1941年の水路誌にも同様の記述があるところをみると、大正年間以後からおこなわれていたことが分かる。多くのものは単純に無人島であるから、自由に操業できると考えていたと思われる。

 

尖閣諸島の領有権行使

 

尖閣諸島の領有権についての具体的な公的記録として、1919年中国福建省漁民31名が遭難して、尖閣列島に漂着して古賀村の住民に救助された。1920年に中華民国駐長崎領事から救護に従事した7人に感謝状が贈られたといわれ、現存する豊川善佐石垣村長に贈られた救助に対する感謝状には「日本帝国領尖閣列島」と明記されている。長崎の中華民国領事館は、1978年に清国領事館として新設され1912年に清国領事館の建物を継承して中華民国領事館として開設されたが1938年に閉鎖されている。1947年長崎僑務長崎分処が設置され1952年から1970年までは中華民国駐長崎領事館が設置されていたが、現在は中華人民共和国駐長崎領事館となっている。因みに、感謝像を贈呈した時は中華民国領事館の馬晃第4代領事であった。

 

1970年発行の中華民国国民中学地理教科書の琉球列島地形図によると、国境線は台湾と尖閣諸島との中間に引かれ「尖閣群島」という島嶼名画使用されていることから中国も日本の領土として認識していたのとは疑いの余地は無いというのが日本政府外務省の正式の見解である。

 

琉球政府の行政区域にある尖閣諸島について、琉球政府と米国民政府が関連した1968年に南小島と久場島で起きた事件処理の事実がある。

 

1968年8月12日、八重山警察署、琉球政府出入管理庁、オブザーバーとして同行したアメリカ民政府渉外局次長ロナルド・A・ゲイ ダック、公安局の計6名が尖閣列島の現場調査をおこなったとき、南小島の岩かげにテント小屋、さらに浜辺に起重機二機を設置、サルページ会社の従業員を含む45名の台湾人労働者が、パナマ船籍の沈船解体作業にあたっていた。南小島に上陸していた同社の責任者は、国府逓信省の解体免許証、基隆港務局長発給の解体許可証及び台湾守備隊本部の出国許可証を所持していたが、入城に必要な旅券及び高等弁務官の入城許可証を所持していなかったことから、同島よりの退去と入場手続の申請をおこなうよう勧告した。 現場にいた責任者は 「この島は無人島だから、パスポートは不用だと台湾政府の人々に言われ手続きをしなかったが、注意をうけてその必要を知ったので、来年4月頃来るときには、パスポートをもってくる」と申立てた。台湾人労者らの南小島への入城手続は直ちにおこなわれ、労働者と船舶三隻の入城が高等弁務官によって許可され、その旨在台アメリカ大使館を通じて電話で連絡された。

 

これら台湾人労働者に対する入城許可はいずれも1968年8月1日から1969年10月31日までの期限とされた。(この許可期限は基隆港務局長の発給した解体許可証の作業期限と一致している)ところで基隆港務局長の発給した解体許可証は解体現場をたんに緯度及び経度で示しているにすぎないが、解体許可証は作業現場を基隆外海とし、しかも上述したごとく作業の期限を付している。また労働者らが台湾守備隊本部発給の出国許可証を所持していることから、少なくとも国府は南小島を自国領として扱っていなかったことが推測される。 南小島における作業は、その後高等弁務官によって入城を許可され、しかも作業の合法性を遡及して認められた。したがって南小島での作業(一部は魚釣島でも行なわれた)に関連して、台湾人労働者が設営した若干の設備もまた、高等弁務官の入城許可にもとづいて認められたものであって、こうした設備の存在を理由に台湾の領有権を主張することはできない。

1968年3月の台風で座礁し、風波で久場島海岸に打ち上げられた国府船籍の貨物船の解体作業のために、14名の台湾人労働者が同島に上陸し作業をおこなった。この事実は1971年7月11日出入管理庁の係官らが、不法入域者取締に関する警告板設置のために同島に主張した際に確認された。これら労働者は南小島の場合と同様、琉球列島へ入城するために必要な旅券及び高等弁務官の入城許可証を所持していなかった。なお同島北岸にスクラップ運搬船が停泊していた。係官ら同船を臨検調査したところ、1970年7月1日に一度来たが、台風のため4名の作業員を残して基隆に引返し、再び久場島に到着したことが分かった。なお同船は正式の出航許可をえているが、その許可証は目的地を無人島として、国名、地名をまったく記入せず、漠然と取り扱っていた。

 

なお労働者からは久場島に 作業の小屋を仮設し、相当量の食料、飲料水(注 同島にはまったく水がない)燃料、寝具などを容易、また鋼鉄製 のケーブル施設をほどこしていた。これらの不法上陸者及び大通号の乗組員に対しては、ただちに退去を勧告したが、解体作業の責任者は「座礁船が台湾船であり、この島が無人島であるので、許可を要しないと思っていた」と申し立てていた。 ところで国府当局の発給した出航許可証が目的地を無人島として、国名、地名を記入していなかったことは、国府自身が久場島を単純に無人島と考えていたからであって、少なくとも自国の領土であると意識していなかったといえよう。いずれにせよ南小島の場合も久場島の場合も、米民政府及び琉球政府によって台湾人らの不法行為の指摘と、退去勧告などの取締り措置が効果的になされているので、これらの事実を理由として、台湾が領有権を主張することは問題とならない。

 

 

4 尖閣問題の平和的かつ創造的な解決をもとめて

 

日中漁業協定と日台漁業取決め

 

 1997年締結された「日中漁業協定」では、尖閣諸島北方の北緯27度から30度40分までの東シナ海日中中間線を中心とした海域を日中暫定措置水域として設置した。同水域では、日中双方の漁船が相手国の許可を得ることなく操業できるように定め、同水域において相手国漁船の違反を発見した場合は、その漁船に・漁民の注意を喚起すると共に、相手国に通報することができると定められた。更に、北緯27度以南の東海の協定水域及び東海より南の東経135度30分以西の水域、まさに尖閣諸島が含まれる水域について、「日本国政府は、日中両国が同協定第6条(b)の水域における海洋生物資源の維持が過度の開発によって脅かされないことを確保するために協力関係にあることを前提として、中国国民に対して、当該水域において、漁業に関する自国の関係法令を適用しないとの意向を有している」(1997年11月11日日本国外務大臣小渕恵三)、という小渕書簡で中国漁船の操業が認められている。

 

 2013年4月10日合意された「日台漁業取り決め」では、台湾政府が主張してきた暫定執法線を受け入れ、北緯27度以南の東シナ海における尖閣諸島周辺海域を含む海域での台湾漁船の操業を認めた。沖縄の漁民や沖縄県議会の反対を一顧だにしない政府の外交により沖縄の漁民は締め出される結果となっており、尖閣周辺の漁場は沖縄の生活の場としての有効支配を失いつつある。海峡問題を抱える台湾と中国が尖閣諸島の領有問題での連携することを歯止めするための外交政策の一環として官邸主導で台湾側に譲歩したという報道もある。

 

このように、北緯27度以南の尖閣諸島を含む海域は中間線等の線引きもされず、中国・台湾の漁船が自由に操業することが許されており、沖縄県民には納得のいく説明がなされていない。尖閣諸島は、日中漁業協定と日台漁業取決めにより排他的経済水域の境界が確定しない海域に取り残されたように孤島群となっており、上陸さえままならない状態にある。現実的には、領有権の主張は対立しているが周辺海域での操業は認められているのが現状である。不思議な協定内容はあるが、日・台・中の衝突を回避する方法は、双方の代表が公式に対等に協議できる日中漁業委員会と日台漁業委員会での協議である。漁業者や航行者の安全が確保できるような信頼関係を作り上げ平和的・創造的な慎重な話し合いを期待する。

日米同盟と中国の主張

日本政府は、尖閣諸島については日本固有の領土として有効に支配しており、第11管区海上保安本部の巡視船を連日配備して警戒警備に当たっている。一方、日米両政府は「尖閣諸島は日米安保条約の対象」という認識を表明しているが、米国の関与については不透明な部分がある。それは、沖縄返還時の「行政権」返還時に「・・・これらの島についてのいかなる係争の要求も当事者が互いに解決すべき事柄である」と表明をし、1996年9月11日米国務省のバーンズ報道官は「米国は尖閣諸島の主権に対するいかなる国の主張も認めもしなければ支持もしない」と発言しているからである。オバマ大統領は「平和的な解決」を提起している。

 

2014年4月訪中したヘーゲル米国防省は常万全国防省との共同記者会見で、中国が領有権を主張する尖閣諸島をめぐり、日米安保条約に基づく日本防衛義務を果たす考えを表明したが、常氏は「領有権で一切妥協はしない。領土を守る必要があれば軍事力を行使する用意がある」と激しい応酬があったと報道された。

 

日米首脳会談時におけるオバマ米国大統領の発言

 2014年4月24日、オバマ大統領は「尖閣諸島問題」について次のような趣旨の提言とも受け取れる発言をした。訪日中の首脳会談で、日米関係の深化の確認やぎくしゃくした歴史認識、尖閣諸島問題、TPP交渉等々課題は山積していた。

「我々は、海域の問題を含めた地域内の争いが、対話を通じて平和的に解決されるよう求める。あらためて言わせてもらうが、日米安全保障条約に基づく日本防衛義務は絶対的なものであり、第5条は尖閣諸島を含め日本の施政権下にすべての領域を対象としている。ヘーゲル国防長官、ケリー国務長官が訪日した際、終始一貫した立場を表明した。尖閣諸島の最終的な主権の決定について特定の立場は取らない。しかし尖閣諸島は歴史的に日本の施政権下にあり、一方的な現状変更の対象になるべきではない。私は安倍晋三首相との会談で、この懸案の平和的解決の重要性を強調した。状況をエスカレートさせず、冷静な発言を保ち、挑発的な行動をとらず、どうすれば日本と中国が協力して取り組めるのかを決めようとすることが重要だと力説した。我々と中国の間には強い関係がある。中国は地域だけでなく世界にとって重要な国だ。米国、中国、ロシアのような大国が、小国に不利な行動を一方的に起こすことができるような世界は長期的に安定することはない。我々は特定の陸地や礁の主権についてはっきりした見解は示さないが、あらゆる国が基本的な国際的手続きに従って問題を解決することを確認するということだ。これにより、中国が成功するだけでなく、日中や中国とベトナム、中国とフィリピンの間の多大な協力生まれ、この地域人たちに恩恵をもたらす可能性がある。国際法の順守が米国の立場だ」。

 オバマ大統領の提言は、米国は「日米安全保障条約」で日本を防衛する義務がある、尖閣諸島は歴史的に「日本の施政権下」にある、米国は「尖閣の主権」で特定の立場は取らない、尖閣は「基本的な国際手続」で平和的に解決すべき、米国と中国は緊密な関係にある、そして、日本は「小国」だ、ということ等々である。

 米国がロシア、中国等の大国同士の関係を重要視し、領土問題には巻き込まれたくない、日本を同盟国として守るという姿勢を明確にし、尖閣は武力ではなく平和的な解決を求めた。

核心的利益と位置付ける中国の姿勢

 2013年4月26日、中国外務省の華春瑩副報道局長は記者会見で、沖縄県の尖閣諸島について「釣魚島(尖閣諸島の中国名)は中国の領土主権に関する問題であり、当然、中国の核心的利益に属する」と述べた。中国が尖閣諸島を、妥協の余地のない国益を意味する「核心的利益」と公式に位置付けた。中国は従来、主に台湾やチベットの問題について核心的利益との表現を用いてきた。尖閣諸島が該当するかを問われても、核心的利益の定義を答えるのみで、明確な回答を避けていた。習近平国家主席は、尖閣問題などを念頭に「平和的発展の道を堅持すべきだが、正当な権益を放棄したり、国家の核心的利益を犠牲にしたりすることは絶対にできない」と強調している。

 

中華民国馬英九総統の「提言」

 

石垣島から170キロ、台湾から190キロ、中国温州から380キロ、沖縄本島から430キロの海上に魚釣島はあり、行政区域は「沖縄県石垣市」である。

一方、中華民国政府は「釣魚台列島」は台湾の付属島嶼であり、行政管轄は「宜蘭県頭城鎮大渓里」に属しているとの立場だ。

馬英九総統は2012年8月5日「中華民国と日本国との間の平和条約発効60周年記念展示会及びシンポジウム」で、最近の釣魚台列島を巡る争議の高まり、その緊張した情勢を憂慮し、このような緊張情勢を緩和するため、「東シナ海平和イニシアチブ」を提起した。それは関係国が自制し、争議を棚上げにし、平和的手段で争議を処理し、並びにコンセンサスを求め、東シナ海行動規範を作り、資源を共同開発するためのメカニズムを構築し、東シナ海の平和を確保するよう呼びかけた。

内容は「釣魚台列島は台湾の付属島嶼であり、台湾北東の東シナ海に位置し、台湾に一番近く、南へは基隆まで僅か102カイリしかない。その行政管轄は宜蘭県頭城鎮大渓里に属している。歴史、地理、地質、使用の実績からしても、また国際法から見ても、釣魚台列島は中華民国の領土であることは何の疑いもないことである。したがって、釣魚台列島を巡る争議に対してわが国から「東シナ海平和イニシアチブ」を提起するのは適切で意義深いものがある。中華民国は平和を愛する国である。わが政府としては、一貫して国際紛争は国連憲章の規定に則り平和的な手段で解決すべきと主張する。釣魚台列島を巡る争議に対する立場は、「主権はわが国にあり、争議を棚上げ、和平互恵、共同開発」である。

国家の領土と主権は分割できないが、天然資源を分かち合うことが可能である。世界には主権の争議ある海域と島嶼は少なくない。しかし、ヨーロッパ北海油田の開発は一つの成功例である。我が国が「東シナ海平和イニシアチブ」を提起するのは、関係国が争議を棚上げにして、多国間協力メカニズムを作り、東シナ海資源の共同開発をはかるためである。また連携の範囲を生態保護、海上救助、犯罪の取り締まりなどに拡大し、関係国の努力によって、東シナ海を「平和と連携の海」にしたいと切望している。   

西沙・南沙諸島の領有権争い

 

1974年に、西沙諸島(パラセル諸島)の領有権を巡って中国とベトナムが武力衝突した。ベトナム軍が西沙諸島を哨戒に訪れた際、甘泉島(ロバーツ島)に中国国旗が掲揚されており、沖に中国の大型漁船が碇泊しているのを発見し、中国漁船に退去を命じ、陸上の中国国旗を狙って威嚇射撃を行ったことがきっかけとなって中国とベトナム双方は増援部隊を派遣、中国漁船2隻はベトナム艦艇と体当たりを繰り返し、ベトナム軍と中国軍は銃撃戦となり、ベトナム艦隊が発砲し、1時間足らずの交戦でベトナム艦隊は次々と損傷し、バラバラに戦場離脱を図り、中国軍が各島を占領した。

 

西沙諸島は1974年以降、完全に中国の実効支配下に置かれることになり、中国軍は、西沙諸島最大の永興島(ウッディ―島)に4階建ての建物やヘリポートを整備し、戦車部隊やミサイル艇を駐留させるなど要塞化を進めた。1988年には2600m級の本格的な滑走路を有する飛行場まで完成させ、南シナ海支配の戦略拠点としている。周辺海域で石油資源掘削活動をしており、ベトナムは領有権を主張して設備撤去、不法占有撤退を申し入れており、中国は領有権を主張して軍艦を含む中国海警局80隻を配船し、2014年5月ベトナムは沿岸警備隊の艦船30隻を現場に急行させた。衝突・放水事件を起こして「相手が衝突を繰り返している」主張し、緊張が続いている。

 

南沙諸島は、石油や天然ガスといった海底資源に加えて、豊かな漁場もあり、中国やフィリピン、ベトナムなど6つの国と地域が領有権を主張している。中国とフィリピンは南シナ海のスプラトリー諸島(南沙諸島)やスカボロー礁(中沙諸島黄岩島)の領有権を巡り対立している。これまでスカーボロー礁は、フィリピンに駐留していたアメリカ軍が、爆撃や射撃の訓練に利用していたほか、フィリピンが灯台を立てるなど実効支配してきた。しかし、2012年、フィリピン海軍が、違法な操業を行っているとして中国漁船を取り締まろうとしたところ、中国の海洋監視船が阻止し、海上でにらみ合う事態となった。フィリピン政府は、台風の接近を理由に沿岸警備隊などの船舶を撤収したが、中国側はその後も、監視船を現場海域に残して、パトロールを続けており、中国が実効支配を強めている。2014年5月、南沙諸島ハーフムーン礁沖でフィリピン当局が中国漁船をだ捕する事件も起きており、南シナ海は「海の火薬庫」に例えられている。

 

2013年、フィリピン政府は南シナ海の島における中国との領有権争いについて、国際海洋法裁判所に仲裁裁判を提訴した。フィリピン外務相は「中国が加わっても加わらなくとも、3〜4年の時間をかけて提訴の結論を出すつもりだ」と述べ、中国外交部の洪報道官は、「フィリピンは南シナ海行動宣言の署名国であり、同宣言を全面的に真摯(しんし)に実行するとの宣言を受け入れた」ことを理由として、領有権を巡る問題を国際司法機関にゆだねることに「はっきりと反対する」などと述べた。中国は海洋権益の確保を明確にしており領土領海を確保するためには実力行使も辞さない、戦争に勝つ軍隊の構築を表明していることから、中国は国際司法裁判も仲裁裁判も拒否する戦略だ。

 

南シナ海では、中国が実効支配したミスチーフ礁の西側海域をマラッカ海峡から日本へ至るシーレーンが通っている。まさに中国のいう海洋交通利益の要である。このシーレーンの北側には中国が1970年代から実効支配を固めている西沙諸島の主島たる永興島には2600メートルの滑走路を要する本格的な空港基地が建設されている。ミスチーフ礁にも1990年代末には恒久的な軍事施設が設置されるようになっているため、中国はシーレーンを挟んで北側の西沙諸島に本格的空軍基地、南側に海軍基地を擁して、この海域の制海権を握らんとしている状態にあるのだ。

南シナ海行動宣言

このように南シナ海の実効支配を固めた中国にとって、2002年の「南シナ海行動宣言」による現状維持と共同開発の路線は、ASEAN諸国に対する歩み寄りというより、むしろ自国の海洋権益を実効たらしめる路線であると言えよう。特に中国のいう共同開発は、注意が必要な概念である。中国は、南シナ海において「擱置争議、共同開発」(争議を棚上げし、共同開発する)という方針を採っているが、中国外交部は、この「擱置争議、共同開発」を以下の4点の原則から成るものだと説明している。
 すなわち、(1)関係する領域の領有権は中国に属する。(2)領有権争議解決の条件が熟していない場合には争議を棚上げしうる。なお、争議の棚上げは主権の放棄を意味しない。(3)係争領域は共同開発することができる。(4)共同開発の目的は、協力を通じた相互理解の増進と領有権問題解決の条件整備にある。

つまり中国のいう共同開発とは、あくまで南シナ海が中国の海であるとの原則に立ち、関係諸国との共同開発によって海洋経済利益の実利を上げながら、長期的には地理的境界を戦略的辺境へと拡大させて海洋政治利益を実現していく作戦だと言えよう。

 南シナ海行動宣言は、東南アジア諸国連合(ASEAN)と中国が2002年に交わした承諾事項で、南シナ海における領有問題を国際法の原則にもとづき、平和的手段で解決することを謳(うた)っている。平和的手段の実効性が問われている。

 東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国と日米中の国防相が参加する、ASEAN拡大国防相会議が2013年8月、ブルネイで開催された。会議では南シナ海の領有権をめぐる紛争が増加すると国家間の対立リスクが高まるとして、中国が南シナ海のほぼ全域で領有権を主張していることについてクギを指す発言が相次いだ。

 最終的には、各国との間で関係悪化につながらないための仕組み作りが必要という点で一致。具体的には、南シナ海問題において法的拘束力を持つ「南シナ海行動規範(COC)」の早期策定を目指す。2002年にASEANと中国が合意した南シナ海行動宣言(DOC)を発展させたもので、これに法的拘束力を持たせたもの。領有権問題の平和的解決、事態を悪化させる行為の制限、協力事業の推進などが盛り込まれる予定。

 COCの策定については、これまでフィリピンとベトナムが強く主張してきたが、中国は性急な議論に反対する姿勢を示し、中国寄りのスタンスが強い、カンボジア、タイなども慎重な対応を求めていた。今回、米国のヘーゲル国防長官が出席する中で、具体的な衝突回避策の構築について合意が得られたことは、アジア太平洋地域の安全保障が米国と中国の交渉によって決定されることを印象付けた形となった。

 ASEANと中国は同じ日程で、北京において特別外相会議を開催し、COC策定について議論を行っている。また9月には「行動規範」策定に向けた公式協議を蘇州で開催する予定だ。秋以降、行動規範の具体策をめぐる議論が本格化することになる。

国境紛争の教訓

 

日本政府は、尖閣諸島については日本固有の領土として有効に支配しており、第11管区海上保安本部の巡視船を連日配備して警戒警備に当たっている。一方、日米両政府は「尖閣諸島は日米安保条約の対象」という認識を表明しているが、米国の関与については不透明な部分がある。それは、沖縄返還時の「行政権」返還時に「・・・これらの島についてのいかなる係争の要求も当事者が互いに解決すべき事柄である」と表明をし、1996年9月11日米国務省のバーンズ報道官は「米国は尖閣諸島の主権に対するいかなる国の主張も認めもしなければ支持もしない」と発言しているからである。オバマ大統領は「平和的な解決」を提起している。

 

2014年4月訪中したヘーゲル米国防省は常万全国防省との共同記者会見で、中国が領有権を主張する尖閣諸島をめぐり、日米安保条約に基づく日本防衛義務を果たす考えを表明したが、常氏は「領有権で一切妥協はしない。領土を守る必要があれば軍事力を行使する用意がある」と激しい応酬があったと報道された。

 

孫崎享氏は「日本の国境問題」で、米歴史学者ピーター・スターンの論文を紹介して、「人間の行動を実験するわけには行かない。歴史こそ実験室といえる。歴史だけが人間・社会の行動の広範な証拠を提供してくれる」。そして、歴史の教訓について次のように述べている。

1969年3月2日勃発した中ソ国境紛争は、中ソ国境線アムール川支流ウスリー川にある長さ1700m幅500mの小さな島「珍宝島」、その島は特段資源があるわけでなく、価値はない。「挑発したから攻撃した」「お互いに侵入と避難」という事態で突然発砲。警告なしの戦火で双方に100名近い戦死者を出した。境界が川岸の右か左か、小さな島の所属をめぐっての犠牲はいかほどの値打ちがあるだろうか。1991年5月16日に双方首脳の話し合いにより関係正常化が合意され中ソ国境協定が結ばれて和平が成立した。

 

1980年9月22日勃発したイラン・イラク戦争は、国境にあるシャトルアラブ川を巡る境界争いから始まった。イラン側死者30万人、イラク側死者16万から24万人と推定。1988年8月20日国連安保理事会の決議により停戦した。国境問題で紛争を円滑に収めようとする人と紛争を発生させて利益を得ようとする人がいるという。「多くの国で国境紛争を緊張させることによって国内的基盤を強化しようとする人物が現れ、そして不幸な戦争になる」と警鐘を鳴らしている。

 

尖閣諸島は歴史的にも国際法上も日本の領土である。しかし、「珍宝島事件」と同様な事態が起こらないという保証はない。連日、海上保安庁の巡視船と中国公船がにらみ合いを続けている。時折、漁船をチャーターした民間人が出没し、一触即発の可能性が常態化している。日中漁業協定や日台漁業取り決めでは北緯27度以南海域、特に尖閣周辺での中国・台湾の漁船の操業が認められており、沖縄の漁民は締め出された格好である。領土問題で「軍備による抑止力」か「話し合いによる平和的解決」という世論操作は危険である。

 

 沖縄県議会は「県民の安全確保」「県益」に係る問題であり、国境問題という意味では「国益」に係る緊急事態との認識から、日中漁業協定や日台漁業取決めの早急な見直しを求めて政府や国会への要請を行ってきた。しかし、問題解決への積極的な姿勢が見受けられないのはなぜだろうか。「竹島密約」のような日・韓の不透明な外交交渉を彷彿とさせる。

 

尖閣諸島は陸続きでないが我が国の排他的経済水域の枠を定める領域にあり、尖閣周辺海域に中国・台湾漁船の自由な操業を認める経済行為を容認していることは、我が国の有効支配ひいては実効支配を大幅に譲歩した結果となっているのではないか。そして、我が国の外交優先で日中、日台両漁業協定には触らず、漁業委員会での操業ルール合意を落としどころと考えているとしか思えない。このような日本政府の対応から、現実的な解決方法は、「協定破棄または協定見直し」ではなく「操業ルールの確立」による平和的解決方法という選択肢しか残されていないではないか。それとも、尖閣問題の解決を日米同盟の強化による軍事力による解決に頼ろうと居ているわけではあるまいか。日本政府は詭弁ではなく、国民の対立を煽ることなく、日本外交の方針を示して平和的解決能力を発揮していただきたいものだ。

 

 尖閣諸島視察

 

 1980年7月30日、石垣市議会尖閣諸島視察団の一人として尖閣諸島を視察した。私は、1978年から石垣市議会議員であったが「領土問題」という認識ではなく「離島振興策」の一環として、無人島となった国境の離島を見てみたいという興味からであった。 石垣市議会総務財政委員会は尖閣諸島の現地調査の必要性があるということで魚釣島、南小島、北小島、3島の所有者である埼玉在の栗原國起氏に文書で視察許可をお願いしたが上陸の同意が得られず実現できなかった経緯があったが、今回、石垣海上本部の好意により海上からの視察が実現した。尖閣諸島の魚釣島は「沖縄県石垣市登野城2392番地」であり2390番地から2394番地までの5島を尖閣諸島と称している。視察団としては、この機会に尖閣諸島についての理解と知識を深め、現状把握のうえ議会として今後の尖閣諸島をめぐる諸問題に対応していくことを目的として巡視船の定員の制約もあり11名が参加した。

 

巡視船「はてるま」(1300トン)は午前7時30分石垣港岸壁を出港し、尖閣諸島到着まで5時間を要した。午前11時過ぎ船内で昼食をいただいたが黒潮で揺れ、船酔いに苦しみつつ、正午前には尖閣諸島に近づいた。先ず、南小島、北小島、魚釣島が右手に見え「イーグン」の如く尖った岩礁がそびえたつように見えた。速度を緩めゆっくりと至近距離から見せてくれ20倍の双眼鏡で島々の様相を確認できた。魚釣島は草木も生えており竹富島より面積は小さいが363mの山もあり大きく感じられた。水もあるということで、かつて「古賀村」が存在し人が生活していたこともあり、付近には本土の団体が立てたといわれる「日の丸」の旗が立っていた。近くに小さな小屋があり、隣にヘリポートがあった。魚釣島近くで3隻の漁船が漁をおりカツオドリが船の周りを飛び交い、昔からカツオ、マグロ、マチ、タイ、などの好漁場であるという印象を持った。約2時間尖閣の島々を巡ったが魚釣島以外は面積もわずかであり草木もほとんど確認できず岩礁の固まりという感じで人が住める環境ではなかった。

 

2007年11月、琉中親善沖縄県議会議員連盟が宜蘭県を訪問した際配布された「宜蘭県行政区域概況簡単な紹介」(宜蘭県政府編印)では「宜蘭で初めて開拓された町―頭城鎮」と紹介され行政区域図では亀山島まで記載され、尖閣諸島の図示はなかった。意図的に除外したかどうかは定かではないが、友好親善交流の積み重ねは平和的解決に一石を投じるものだ。主権問題は外交問題であり国の専権事項であるが、「台湾」と「沖縄」が隣接する「地域」間の共通認識を深めていくことは必要であり、今後とも交流を継続していきたい。

  

 

5 結びに

 

懸念

 

安倍政権は自民党憲法草案を基に憲法改正を目論んでいる。自衛隊を国防軍と位置づけ、紛争の解決手段として自衛権の行使を可能にし、集団的自衛権を行使できる憲法改正に前のめりである。南西諸島への自衛隊配備も強引に進めており、日本最西端の与那国島への陸上自衛隊監視部隊の配備が決まり2014年4月19日着工される。与那国町民は「賛成」「反対」が拮抗する二分状態で町民生活の混乱が懸念される。更に、2014年2月23日琉球新報、同24日沖縄タイムスで報道された石垣島配備計画も候補地問題も「火のないところ。煙はたたない」。

 

沖縄県民の中にも、尖閣諸島問題を想定して「国境・領土問題」の解決策として在沖米軍基地に配備されている海兵隊やオスプレイ等の在沖米軍による抑止力に期待している向きも感じられる。しかし、米国政府は領土問題に関与しない方針であることから、中国との緊張関係の増長はアジアでの孤立を招きかねない。ロシア、韓国、中国等と同時に抱える未解決の国境問題は、米国にとっても国益優先から考えると日本の立場は微妙である。国の日米同盟による軍事力によるや外交安全保障ではなく、琉球王国の万国津梁の歴史を踏まえた「ソフトパワー」を活かした親善交流による平和構築が大事である。

 

南西諸島は国防予備軍である自衛隊の配備で紛争の最前線に立たされる。戦争マラリア犠牲者事件や悲惨な地上戦で犠牲をこうむった沖縄を再び差別して捨石にすることは許されない。何故紛争が起きたのか、どのように紛争を終わらせたか、誰が得して誰が損したのか、歴史に学ぶ必要がある。日本政府の外交力が問われている。

 

国際裁判の道

 

ベトナムや米国と連携した中国包囲網に参画しているフィリピンは、自力で単独でも中国への対抗作戦として海洋法に基づく国際仲裁裁判に提訴した。国連の国際司法裁判所は当事者双方の同意がなければ裁判は成立しない。しかし、国連常任理事会の合意で裁判を成立させる方法もある、アメリカ、中国、ロシア等の大国は常任理事国として拒否権を有している。中国の拒否権の存在で、裁判は成立しないため、その機能は形骸化している。

 

各国は、規程に基づき、選択条項(義務的管轄権/強制管轄権)の受諾を宣言することで、裁判への応訴を自ら義務とすることができる。この宣言を行った国は、時間的、事項的な範囲が同一である限りにおいて、同一の宣言を行った他の国を、一方的に裁判に服させることができる。残念ながら米国、中国、ロシア等の大国は受諾宣言国家とはなっていない。

 

軍事大国となった中国に対抗するには、国際世論に訴える方法として国際仲裁裁判が効果てきという戦術選択である。中国は応訴を拒否したが、規定により今後は、中国に代わり、国際海洋法裁判所長(日本の柳井俊二氏)が仲裁人を選定し、「中国不在」のまま法廷闘争を継続される。中国の領有権主張の違法・無効性、覇権拡大主義が広く世界に広まることを目指している。平和的な解決の方法は国際的な手続きとして「国際司法裁判所」「国際仲裁裁判所」を活用することも一つの道である。南沙諸島の領有権について中国との平和的な解決の方法として、フィリピン政府の「国際仲裁裁判所」への提訴の結果を参考にしたい。

 

 日中、日台漁業委員会での協議による当面の安全確保

 

北方領土の中間線でも多額の漁業協力金をロシアに支払って安全確保している。残念ながら、日本外交の駆け引きで尖閣周辺海域に中国・台湾漁船の自由な操業を認める経済行為を容認しており、我が国の有効支配ひいては実効支配を大幅に譲歩した結果となっている。我が国の三流外交優先で日中、日台両漁業協定の撤回・見直しは不透明である。したがって、漁業者の操業や航行の安全を確保する当面の方法は、日中、日台漁業委員会での操業ルール合意による漁場相互利用を落としどころと考えているとしか思えない。このような日本政府の対応から、「操業ルールの確立」という選択肢しか残されていないではないか。それとも、尖閣問題の解決を日米同盟の強化による軍事力による解決に頼ろうと居ているわけではあるまいか。日本政府は詭弁ではなく、国民の対立を煽ることなく、日本外交の方針を示して平和的解決能力を発揮していただきたいものだ。

 

友好親善交流

 

石垣市議会は1月14日を「尖閣開拓の日」として決議したが、挑発であってはならない。石垣市や沖縄県は台湾や中国と歴史的にも友好関係にあり、今後とも活発な交流が期待されている。かつて、石垣島を訪問された中華民国国民党最高顧問方冶氏は「台湾と琉球は兄弟だ」と誇らしげに、情熱的に協調しておられた。石垣市新川には「唐人墓」があり、中国・台湾・石垣の親善交流のシンボルとして来訪者も多い。石垣市は台湾蘇襖鎮と姉妹都市をしての交流を続けている。台湾台北空港と新石垣空港は中華航空の直行便で結ばれ、石垣港には台湾基隆港からクルージング船が往来している。台湾と中国の海峡問題は対立・緊張から融和・相互依存関係に成長し、東シナ海は緊張の海ではなく交流の海でなければならない。日本政府は主権国家として外交力を発揮し、平和的かつ慎重・適切に尖閣問題を解決していただきたい。

 

沖縄県議会は、本件の行政区域で同様な事件が再発しないよう日本政府及び中国政府に対して要請するため、2010年9月27日「尖閣諸島海域での中国漁船領海侵犯事件に関する抗議決議」を全会一致で議決した。地方自治法第99条の意見書決議は「オール沖縄」の声だ。主権国家として県民の安全を守る責任があり、主張することは対立と同義語ではない。

2011年に琉中親善沖縄県議会議員連盟は台北市・新北市・台中市・台南市を訪問して交流を深めてきた。今後とも、可能な交流を重ね、対立ではなく友好親善を重ね共存する国境関係でありたい。宜蘭県との親善交流も行ってきた。

沖縄のソフトパワーこそ「平和交流」の源である。隣国を仮想敵国と想定した「抑止力」への依存は国境問題ますます困難にさせる。平和的交流が最大の安全保障である。    

 

 

 

 

 

 

参考文献「尖閣諸島海域の漁業に関する調査報告」尖閣諸島文献資料編纂会

    「尖閣諸島について」外務省情報文化局

    「尖閣諸島資料」石垣市編

    「登野城村の歴史」牧野清著   

     「釣魚島問題について」人民日報(1996年10月18日付)

「尖閣列島の領有権問題―台湾の主張とその批判―」奥原敏雄

     「日本の国境問題」孫崎享著