沖縄の自己決定権

―差別・不平等の検証―

              

はじめに

 

 先の太平洋戦争で1945年に沖縄本島に侵攻した米軍は、戦後27年間にわたって沖縄を占領した。戦時中、沖縄は激しい地上戦で4人に1人が犠牲となり、美しい自然や貴重な文化遺産は焦土と化し、戦後は1952年に発効したサンフランシスコ講和条約によって施政権が日本から切り離され、米軍統治下で人権は踏みにじられた。1972年の本土復帰により施政権は日本政府に返還されたが、戦後69年が経過しても、国土面積の僅か0.6%しかない沖縄県に、在日米軍専用施設の73.9%にあたる約2万3000haの過重な米軍基地があるため事件・事故が後を絶たない。米国では許されない事、日本国民が嫌がっている事が沖縄では繰り返されている。今なお、米軍の占領下にあるといっても過言ではない。沖縄県民の人権と尊厳が回復される時は来るのだろうか。

 

 琉球立法院は1962年2月1日、「施政権返還に関する要請決議」を行い、「アメリカ合衆国による沖縄統治は、領土の不拡大及び民族自決の方向に反し、国連憲章の信託統治の条件に該当せず、国連加盟国たる日本の主権平等を無視し、国連憲章の統治に関する原則に反するものである」と施政権返還を要求した。この決議は日米両政府だけでなく国連加盟各国にも送付され祖国復帰運動の大きなうねりを起こしたことを忘れてはならない。1966年に採択された国際人権規約では「すべての人民は自決の権利を有する」と謳われている。琉球立法院が「民族自決」という沖縄の自己決定権を訴えてきた歴史を誇りに思う。今こそ、国連を巻き込んだ「沖縄の自己決定権」の確立に取り組む時が来ている。

 

米軍施政権下にあった琉球政府時代には、琉球立法院は1952年から1972年までの20年間に、在沖米軍基地問題に関連して107回の決議をしている。人権回復の悲願であった日本復帰が実現した1972年から2010年までに、米軍基地関連事件・事故は1444回発生し、沖縄県議会は359回の意見書・抗議決議を行ったが、綱紀粛正・再発防止       を求める声は無視されたままで、日本国憲法の下でも人権は守られていない。「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」(以下、「日米地位協定」)が不平等きわまる内容となっているからである。日本は法治国家であるが、沖縄の現状は異なる。日本国憲法第14条「すべての国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」、第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」に違反しており、「治外法権」がまかり通っていると言わざるを得ない。

1995年94日、沖縄県名護市で米兵3名による小学6年生の少女拉致・強姦事件が発生した。宜野湾市海浜公園に8万5000人、宮古・八重山で6000人が結集する「県民大会」が開かれ、超党派の「怒りの抗議」を行い、県民の人権を守るために「日米地位協定」の抜本的な改定を求めたが未だに実現していない。

 

日米両政府は「沖縄に関する特別行動委員会」(SACO)を組織し事態改善策を協議した結果、1996年末に世界一危険な飛行場といわれる普天間基地の返還等の大規模な在沖米軍基地の整理・縮小に合意した。在沖米軍再編の最終報告すなわち米軍再編ロードマップが2006年5月に発表された。米軍普天間飛行場を沖縄県内の名護市辺野古に移設し、8000人の海兵隊をグアムに移転させること、嘉手納飛行場より以南の米軍基地を返還することなどが示された。しかし、県内移設には沖縄県民の約7割以上が反対であり、地元名護市の稲嶺進市長や名護市議会の反対や沖縄県議会の全会一致の反対決議がなされている。仲井真弘多沖縄県知事も県議会答弁や政府への要請で「辺野古移設は実現不可能」として県外移設を主張していた。2011年4月27日に来県して県知事や県議会議長及び関係者との意見交換をした米連邦議会のカール・レビン米上院軍事委員長やジム・ウェブ上院議員等は「米軍再編現行案は非現実的で実現不可能である」と日米合意である辺野古埋め立ての現行計画案の見直しを求める共同声明を発表した。2013年1月28日、沖縄県議会全会派や県内41全市町村長と議会議長、県民代表が連名して安倍総理大臣に直訴した「CVオスプレイ配備撤回」や「米軍普天間基地を閉鎖・撤去し、県内移設を断念すること」を要求した「建白書」はオール沖縄の声である。

 

 一方、日本政府は米軍普天間飛行場を日米合意に基づき名護市辺野古に代替施設を建設して移設する計画を強引に進めており、辺野古沿岸域公有水面埋め立てに伴う行政手続きとして、2012年12月27日には県議会や専門家から不備だと指摘されている「環境影響評価書」を提出し、2013年3月には「名護市辺野古公有水面埋め立て承認申請書」を沖縄県に提出した。名護市辺野古は、沖縄県が「自然環境の保全に関する指針」で「評価ランク1」に分類し、国の天然記念物であり国際保護獣のジュゴンをはじめとする希少動物を育む貴重な海域であり美しい海域であることから、環境影響評価書に対する知事意見は「環境保全は不可能である」という指摘であった。世界に誇れる自然環境を後世に残し引き継ぐことこそが沖縄県民の責務であり、米国民も事の重大さを認識していただきたい。

 

 ところが、仲井真知事は2013年12月27日「辺野古公有水面埋め立て承認申請」を承認した。信じがたい裏切り行為である。12月17日に開催された「沖縄振興政策協議会」で、仲井真知事は沖縄振興予算の確保や米軍基地負担軽減等を要請し、安倍総理大臣が「政府としてしっかり取り組む」という回答したこと評価して、安倍政権懸案の辺野古埋め立てを承認してしまった。沖縄県議会での答弁や説明からは考えられない 

 

 仲井真知事が信頼した安倍総理大臣は「米軍普天間飛行場の5年以内の運休状態」を実現するだろうか。米国は容認しない報道もあり、「空手形」で県民を裏切った「公有水面埋め立て承認劇」を企てた知事判断は、後世でも恥ずかしい評価となる汚点である。米国側は日本政府に対して「年内に進展が見られない場合は、普天間返還を白紙に戻す」と脅し、日本政府は「辺野古移設ができなければ普天間基地は固定化する」と恫喝し、仲井真知事は「承認しなければ基地負担軽減、那覇空港第2滑走路にも多大な影響が出ますよ」と与党議員を諭すという論法は思考停止である。

 

2014年1月19日施行の名護市長選挙の結果、「名護市辺野古の海に陸にも新基地はつくらさない」と訴えた現職の稲嶺進市長が1万9839票を獲得し、仲井真知事と連携して辺野古埋め立て承認を容認し新基地建設受け入れを訴えた末松文信氏に4155票の大差で2期目の当選を果たした。稲嶺進市長は1期目から「自然を守るため、未来の子どたちのために新たな基地はつくらさない」との姿勢を貫いてきた。選挙期間中、石破茂自民党幹事長が応援演説で「名護市振興基金500億円創設」のアメを投げかけ、仲井真知事は何度も名護市長選挙の応援に駆け付けたが、地元の名護市民は受け入れなかったことになる。

 

2014年11月16日施行の沖縄県知事選挙の結果、「イデオロギーよりアイデンティティー」「オール沖縄」を訴えた翁長雄志前那覇市長が36万票を獲得し、仲井真弘多知事に約10万票の大差をつけて当選した。米軍普天間基地の名護市辺野古移設の是非が最大の争点となり、投票率は前回を3.25ポイント上回り64.13%と高い関心が示され、「名護市辺野古に新基地はつくらさない」と訴えたことが県民の共感を呼んだ。

 

沖縄県議会は「米軍普天間飛行場の閉鎖・返還と県内移設に反対し国外・県外移設を求める意見書」を全会一致で決議し、仲井真知事も「辺野古は事実上不可能」と2期目は県外移設を公約にして当選した。県内41市町村長や市町村議長や県議会全会派が「建白書」でオスプレイ配備撤回や県内移設断念を安倍総理に直訴してきた。県選出自民党国会議員5名も「県外移設」を公約にして当選したにも拘らず、政府と石破自民党幹事長の圧力に屈して県内移設を容認した。仲井真知事も病気入院を口実に上京中に政府と接触し、沖縄振興策とリンクしたかのように「いい正月が迎えられる」と得意げに報道された。そして、県政与党公明党の県外移設を求める提言や県議会決議を無視し、辺野古移設に反対する約8割の県民を裏切って名護市名辺野古埋め立て承認」をした。

 

沖縄県議会は1月10日臨時議会で「仲井真知事の公約違反に抗議し、辞任を求める決議」を可決した。知事は「公約違反ではない」と言い訳したが県民には通じなかった。沖縄は「アメとムチ」「ゆすりとたかり」という誤解を助長して傷つけられた「ウチナーンチュの誇り」は知事選圧勝で取り戻した。県民の良識の勝利である。仲井真知事は知事選政策発表で「県民の皆様に誤解を招いたことは私の不徳の致すところ。冒頭に一言お詫びを申し上げる」と述べたと報道されたが時遅しであった。

 

 県知事選挙で示された民意を実現する責任は大きい。辺野古新基地は埋め立てが承認され既に着工していることから「埋め立て承認」の取り消し、撤回が喫緊の課題である。沖縄防衛局の環境アセスに対して「環境の保全は不可能」という知事意見をまとめた県環境部や外部専門家の意見を聞き、日米両政府に民意を訴え阻止してもらいたい。

 

 米スタンフォード大学アジア太平洋研究センターのダニエル・スナイダー副所長は「現行移設計画に強く関与し、無理なら普天間を使い続けるという人たちと、辺野古移設は政治的に絶対に実現しないと信じ、状況を放置せず別のアプローチを考える人たちがいる」「政治的リーダーシップが欠如している」「解決策はある」と述べている。

 

私は、2011年北マリアナ連邦を訪問し意見交換した。テノリオ下院議長やテニアン市のデラクルズ市長や地域評議会の皆さんからテニアン島への海兵隊移転について沖縄からも日米両政府へ働きかけるよう支援の要請を受けた。北マリアナ連邦議会は普天間基地の在沖海兵隊のテニアン島への誘致を全会一致で決議をしている。

 ハワイ州アバクロンビー知事が在沖海兵隊のハワイ誘致を提案したと報道された。実現すれば、ハワイ・沖縄双方に大きなメリットとなる。この際、沖縄県は外交問題と傍観せず、ご縁のあるハワイ州知事と積極的な意見交換や連携をして、県民の過重な負担軽減につなげる取り組みをすべきである。仲井真知事は「県外の滑走路があるところに普天間飛行場を移すのがより現実的で早い」と述べているが、在沖海兵隊の訓練移転や米軍普天間飛行場の県外移設だけでなく国外移転の情報交換や情報発信をすべきである。沖縄のソフトパワーの発揮こそ最善の安全保障であることを沖縄県民は訴え続けたい

在日米軍専用施設の約73.9%が沖縄に集中し、事件・事故・騒音等で人権を蔑ろにされる国民を放置する現状では、民主国家というより差別国家と言っても過言ではありません。今年3月9日付の国連人種差別撤廃委員会から日本政府に対して、沖縄における軍事基地の不均衡な集中を分析して「在沖米軍基地建設計画に対する懸念」を要請したが、政府は7月31日付けで「普天間飛行場の危険性除去、負担軽減及び我が国の安全保障上の要請によるもので差別的な意図に基づくものではない」と名護市辺野古への移設の正当性を説明しております。米軍基地の過重な負担状況は、県民の頭越しに犠牲を強いるものであり構造的差別である。

 

 

 沖縄県民の人権蹂躙の根源となっている日米安全保障条約に基づく日米地位協定については、全国都道府県議会議長会は「基地周辺の住民生活の安全確保に万全の措置を講ずること。また、国民の生命・財産と人権を守る立場から、日米地位協定を抜本的に見直すこと」を全会一致で議決し、日本政府に要望したが実現していない。

日米地位協定第27条「改正」では、「いずれの政府も、この協定のいずれの条についてもその改正をいつでも要請することができる」と合意規定があるにも拘らず、自国民を守るための努力をしていない事は納得できない。日本国憲法第14条「法の下の平等」、第25条「生存権」の規定があるにも拘らず「日本国民」を守らない「日米地位協定」が、沖縄県民だけに過重な負担を与えている実情は看過できない。日米地位協定は国際的に比較しても不平等であり、我が国は主権国家として米国とのパートナーシップを堅持するためにも日米地位協定の改正を提起するべきである。日本が法治国家であるにもかかわらず、沖縄の人権が植民地的差別状況に置かれていることを検証して、一日も早い解放を訴えたい。

 

この拙稿は、私が沖縄県議会議長在任中の2011年発刊した『沖縄からの報告』に盛り込むことのできなかった想いを、2012年12月頃までに『沖縄の人権―米軍基地と日米地位協定の検証』として執筆していたが、その後に生じた仲井真知事による公有水面埋め立て承認事件まで加筆したものである。時系列的に適切でない文章も散見されるが、2014年1月19日の名護市長選挙と11月16日の沖縄県知事選挙の結果を踏まえて、「沖縄の自己決定権」について苛立つ思いを記した。

 

2014年11月20日  

沖縄県議会議員 高嶺善伸

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第1章 在沖米軍基地の概要

 

1 太平洋戦争における沖縄戦の実相

 

 1945年3月26日、太平洋戦争の末期に米軍が沖縄県慶良間諸島へ上陸し、沖縄での悲惨な地上戦が始まった。米軍の沖縄攻略作戦では米国太平洋艦隊等の艦艇約1500隻、総兵力は54万8000人が投入された。4月1日に、米軍18万3000人が沖縄本島西海岸の読谷・北谷・嘉手納に大々的な上陸作戦を決行し、圧倒的な物量で翌2日には東部海岸に到達し、瞬く間に中部一帯を制圧した。

これに対する日本軍沖縄守備隊は、陸軍8万6400人、海軍1万人、沖縄現地で動員された防衛隊・学徒隊約2万人の総勢11万人余で、勝ち目のない無謀な戦いは住民の居住地が決戦場となり修羅場と化した。中学校以上の男子と師範学校の男子生徒が鉄血勤皇隊として戦闘に参加させられ、切り込み隊として1780人のうち半数が戦死した。女子生徒は従軍看護婦として野戦病院に配属され、傷病兵の看護や死体の処理、炊事等不眠不休の状態で働かされ479人のうち半数近くが悲惨な最期を遂げた。

 

日本兵と住民が混在した沖縄の地上戦では、一般住民がスパイ容疑で日本兵に殺害されたり、避難壕から追い出され食料を強奪されることもあり住民虐殺事件もおきた。場所によっては、日本兵は住民を守るどころか「生きて虜囚の辱めを受けず」と軍律を強要し、軍命による強制集団自決が頻発した。

 大本営の方針は、沖縄戦は本土防衛のための時間稼ぎの「捨石作戦」であった。90日余におよぶ「鉄の暴風」とも呼ばれる攻撃を受けて山野は焼き尽くされ、貴重な文化遺産と町や村は廃墟と化した。追い詰められた海軍を率いる大田実司令官は自決する直前の6月6日、海軍次官宛に「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別に御高配ヲ賜ランコトヲ」と打電し、6月11日玉砕した。沖縄守備隊の牛島満司令官は、6月19日に「最後迄敢闘し悠久の大義にいくべし」との玉砕命令を発して6月23日自決し、組織的抵抗は終了したといわれるが、8月15日の終戦にも関わらず戦闘は続き、日本軍が公式に降伏文書に調印したのは9月7日であった。

 

 昭和32年に発表された沖縄県の推計によると、沖縄戦の戦没者総数は20万656人で、一般住民は9万4000人、学徒隊等の沖縄県出身軍人・軍属は2万8228人に上り、終戦直後のマラリアや餓死等で亡くなった数を含めると15万人前後になるだろうと推計され、当時の人口が約57万人であったことから、実に4人に1人が犠牲になったことになる。

 1945年6月30日時点では、米軍による捕虜収容所には28万4625人が収容された。沖縄戦でほとんどの住宅は消失してしまい、1946年2月4日開かれた沖縄諮殉委員会においては、沖縄本島における収容地区の平安座市を除く11市の中で、残存した住宅はわずか5645戸、戦前の4%に過ぎないことが確認されている。また、1953年11月時点において両親を失った戦争孤児は4050人、母親を失ったものは2850人、父親を失ったものは2万3800人に上ったという。

糸満市摩文仁の沖縄平和祈念公園にある「平和の礎」には、国籍を問わず沖縄戦で亡くなられた24万1132名(2011年6月23日現在)が刻銘されており、毎年、6月23日の慰霊の日には、沖縄県が主催者となって沖縄全戦没者追悼式を執り行っている。

 

2 沖縄での米軍基地建設

 

沖縄における米軍基地建設の経緯や現状について、『沖縄の米軍基地』(沖縄県知事公室基地対策課)には以下のように記述されている。

194541日に沖縄本島への上陸を果たした米軍は、同年45日に読谷村字比謝に米国海軍軍政府を設置、布告第1号(いわゆる『ニミッツ布告』)を公布し、南西諸島とその周辺海域を占領地域と定め、日本の司法権、行政権の行使を停止し、軍政を施行することを宣言した。沖縄を占領した米軍は、住民を一定の地区に設置した収容所に強制隔離し、沖縄全域を直接支配下に置き、軍用地として必要な土地を確保した。

 沖縄の米軍基地は、占領当初においては、米国の極東政策上特に重要な基地として認識されてはいなかったが、しかし、1949年以降における中華人民共和国の成立や朝鮮戦争の勃発等、極東における国際情勢の変化により、米国は極東政策の転換を余儀なくされ、沖縄の戦略的価値が認識されるようになり、沖縄は、自由主義陣営の拠点基地『太平洋の要石』と呼ばれるようになった。

 

 米軍の占領は、沖縄本島を中心とした激しい戦闘の末に確立され、軍用地の使用、接収に引き継がれていった。米軍は、このような戦場または占領地の継続状態としての軍用地の使用は、国際法上当然に与えられた権利であるとし、その根拠として「陸戦の法規慣例に関する条約(いわゆる『ハーグ陸戦法規』)」をあげ、何らの法制上の措置を必要としないとしていた。したがって、米軍は占領当初の軍用地に対してはもちろんのこと、その後の新規接収地に対しても軍用地料の支払いをせず、無償のまま使用を続けていた。

 

 1952年4月28日対日講和条約の発効後は、米国民政府は既接収地の使用権原と新規接収を根拠付ける布令を次々発布し、軍用地使用についての法的追認を行うと同時に、新たな土地接収を行った。まず、米国民政府は1952年11月1日に布令第91号「契約権」を公布して、契約に応じない土地は琉球政府行政主席と土地所有者との間で賃貸契約を締結して、琉球政府が米国政府に転貸させた。次いで、1953年4月3日に布令第109号「土地収用令」を公布して、地主が反対しても米国は一方的に収用宣告書を発することによって、土地の使用権限を強制的に取得できるようにし、各地区で武装兵力によって強制的に土地の接収を行っていった。

 例えば、宜野湾市にある普天間飛行場用地に関連する土地収用について次のように説明されている。「1954年7月、米国民政府は宜野湾村伊佐浜集落の水田に対し、蚊が発生し脳炎を媒介するとの理由で農耕の禁止を通告した。地元住民や琉球政府立法院は、蚊の発生という理由に疑問を抱いていたが、その後米国民政府は、米軍の基地建設にとって必要なマスタープラン地域であるとし、立ち退きを勧告した。

1955年3月11日、一部地域の強制接収が執行され、武装兵がブルドーザーの前に座り込む住民を銃床で殴りつけるなど32名の重軽傷者が出る騒ぎとなった。この日の土地強制接収は取りやめられたが、同年7月、土地収用を巡り各地から駆けつけた住民と米軍が対峙する中、米国は深夜の間に、武装兵を乗せたトラックで付近の交通を遮断し、厳戒態勢のうちに土地を接収した」と説明されている。銃剣とブルドーザーで強制的に接収されて建設されたのが普天間基地である。

 

沖縄には、現在県下41市町村のうち21市町村にわたって34施設、約2万3000haの米軍基地が所在しており、沖縄本島の約18.4%を占めている。全国と比べてみると、在沖米軍基地は全国に所在する米軍基地面積の22.7%に相当し、米軍が常時使用できる専用施設に限ってみると、実に全国の73.9%が本県に集中しており、他の都道府県の県民一人あたりの負担に比べ、県民一人あたりの負担は約280倍という過重な基地の負担を負わされている。

 

太平洋戦争いわゆる第2次世界大戦で米軍が沖縄を侵攻したのは米海兵隊であり、在沖米軍基地は勝ち誇りの象徴のように功労者の名前で呼ばれている。「キャンプ・シュワブ」、「キャンプ・ハンセン」、「キャンプ・キンザー」、「キャンプ・コートニー」等々である。

沖縄に駐留している海兵隊とはどんな部隊であろうか。

在沖米海兵隊の基地は施設数、施設面積とも最も大きく、1万7668.1haで全施設面積の75.8%を占めている。

「在日米海兵隊基地司令部」がキャンプ瑞慶覧に置かれている。その指揮管理の下に「第3海兵遠征軍司令部」がキャンプ・コートニーに置かれ、その下部機関として、地上部隊を形成する「第3海兵師団」が同じくキャンプ・コートニーに、また、これらの実戦部隊の後方支援部隊である「第3海兵兵站群」が牧港補給地区に、さらに「第31海兵遠征部隊」がキャンプ・ハンセンに、「第1海兵航空団司令部」がキャンプ瑞慶覧に駐留している。なお、これらの部隊機関に所属する主な部隊として、「第3海兵師団」の下には、6カ月交代で駐留する歩兵大隊である「第4海兵連隊(歩兵)」がキャンプ・シュワブに置かれ、実弾射撃訓練を実施しており、「第12海兵連隊(砲兵)」はキャンプ・ハンセンに置かれている。

また、「第1海兵航空団」の下に実践部隊である「第36海兵航空群」及び後方支援部隊である「第18海兵航空管制群」が普天間飛行場に配置されている。

 在沖米軍は約2万4000人いるといわれるが、定数ではその4分の3にあたる1万8000人が海兵隊員であり、日本に駐留している海兵隊の約90%である。在沖海兵隊はイラク戦争やアフガニスタン紛争に派兵されており、実数は1万4000人ではないかといわれているが沖縄での刑法犯罪検挙件数がずば抜けて多いのは、後述するように海兵隊の部隊の性格によるものかもしれない。

 

3 軍人・軍属及び家族数の実情

 

沖縄に配属された米軍人の数は、1972年の約3万9350人を最高に、2004年以降は、2万2000~2万3000人台となっている。軍人数については、米軍の再編・統合計画によるものや、国際情勢・米国の財政状況等の外的要因など様々な要素が挙げられるが、復帰後の数カ年を除き、大幅な削減は行われていない。

 

米軍に雇用される軍属については、1972年の約2,900人から漸次減少し、1993年以降は1000人台である。

軍人・軍属の家族数の推移をみると、2007年の約24,000人から減少し、現在2万4000人から減少し、現在1万8000人台で推移している。

 

(証言で知る海兵隊)

「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」(佐野眞一著)では、沖縄の新聞記者から耳にしたエピソードが赤裸々に書かれていた。「彼は新人記者時代、間もなく定年退職を迎える沖縄県警の刑事部長から呼ばれた。ところが、沖縄県警を訪ねて行くと、刑事部長の姿が見えない。周りの警察官に聞くと、いましがた中庭に出て行ったという。中庭では刑事部長がドラム缶で、写真を焼いていた。見るともなしに覗くと、女性の局部に棒などを突っ込んだ性犯罪現場の凄惨な証拠写真ばかりであった。刑事部長は写真を焼く手を休めず、泣きながら、彼にこう言ったという。『俺は間もなく定年になる。これは全部、米軍の連中がやって捜査の途中でストップがかかった事件の証拠写真だ。俺にはもう用なしになったから焼いているが、お前は新聞記者だから、この写真のことをいつまでも忘れず、頭に焼き付いておいてくれ』その夜の彼との会話は、もっぱら、今回の事件を起こした海兵隊という部隊の特殊性と、今回の事件に対する県知事の対応の卑屈さ、それに明治時代の列強各国との不平等条約にも等しい日米地位協定の不公正さに関するやりとりとなった。」

 

 「沖縄に基地はいらない一元海兵隊員が本当の戦争を語る」(アレン・ネルソン、國弘正雄共著)では、海兵隊という部隊の実態を体験談として述べた内容に驚愕した。著者のネルソン氏は「貧乏な子どもには多くの選択肢はない。職を得ないといけない。道端で麻薬を売るか、刑務所で暮らすか、その中間にあるのは軍隊しかない」という貧乏の境遇で、黒人差別から脱するために海兵隊員になった自らの体験談を次のように述べている。

「海兵隊は13週間の新人キャンプで徹底した訓練で洗脳される。例えば、兵舎の夜、電気が消えている中で直立不動という姿勢で寝ている新人兵。そこへ教官たちが乗り込んできて、ベッドの列の間を歩きながらどなります。『おまえらは誰だ』『海兵隊員です』『声が小さい、お前らは何者だ』『海兵隊員です』『おまえらの任務は何だ』『殺すことです』『スペルを言ってみろ』『K、I、L、L、キル、海兵隊員、ウォー』もう寝るどころの話ではない。でも、これも重要な訓練だから、もし教官が気にいらなければ、全員ベッドから出されて、50回の腕立てふせ。そして、最初からやり直し。1966年、沖縄に派遣される時には、入隊した時とは見違えるほどのたくましい兵士になっていた。海兵隊の隊員の間に広まっていた話は『オキナワに行けば、女でも酒でも楽しめるのだ』『我々がどんなことをやらかしても、何にもおとがめはないのだ』ということでした。

海兵隊は最も攻撃的で残虐な部隊であるという意味において、それは正しい把握だと思います。戦争の美学、殺人の美学を32種類の方法を教わりました。ピアノ線を使って首を絞めて殺すやり方、後ろから忍び寄って、相手が声をあげるまえにのどを切るやり方、武器を所持していない時に棒で相手ののどを突き刺して殺すやり方、相手の目玉に指を突っ込んで殺すやり方などです。沖縄での訓練を受けて、ベトナム戦争に派遣された」。アレンさんは除隊した後、戦争の精神的後遺症で苦しんだが治療して、ニュージャージー州のカムデン青少年センターで荒れた子どもたちの教育指導にあたっていたという。

 

 

第2章 在沖米軍基地に関連する事件・事故の実態

 

1 戦後の琉球政府と立法院

 

第2次世界大戦において1945年7月26日、ドイツベルリン郊外ポツダムにおいて、米国大統領トルーマン、英国の首相チャーチル、ソ連共産党書記長スターリンが集まり、戦後処理についてポツダム宣言が発表された。内容は日本に対して無条件降伏等を求めた全13か条から成る宣言である。日本はこの宣言を受諾し、第二次世界大戦(太平洋戦争)は終結した。米国をはじめとする連合国諸国と日本国との間の戦争状態を終結させるための平和条約は米国のサンフランシスコ市において署名されたことからサンフランシスコ講和条約などともいう。1951年9月8日に全権委員によって署名され、翌年の1952年4月28日に発効し、太平洋戦争で敗戦した日本は独立国としてスタートすることになったが、その一方で、沖縄・奄美は日本から切り離されることになり「屈辱の日」となった。

 

米軍の施政権下では、全琉球を統一する住民側の政府ともいうべき琉球政府が発足したが、その活動は米国統治下で制限されたものであった。そして同条約第3号により、北緯29度以南の奄美や沖縄の南西諸島を日本の行政権から切り離し統治することが国際的に決定された。同条約が発効される以前、アメリカは戦時国際法『ヘーグ陸戦法規』を根拠に沖縄を占領してきたが、サンフランシスコ平和条約と同日に『日本とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約』(安保条約)も発効し、それによってアメリカ軍の日本駐留が認められた 1950年代からは米軍基地の建設が本格化しました。アメリカ政府の出先機関である琉球列島米国民政府(USCAR)は、布令・布告を公布するなどして新規に土地を接収し、基地を拡充していった。 

 

1945年3月下旬、南西諸島への上陸を開始した米軍は、米国海軍軍政府布告第1号( いわゆるニミッツ布告)により米軍占領下にある南西諸島に対する日本政府の行政権・司法権を停止し、4月5日には米軍政府を設置して占領行政を開始した。

1952年4月28日サンフランシスコ講和条約発効により米国の沖縄統治の根拠は、それまでの戦時国際法から条約第3条に移行した。「長期保有」が目的であればなおさら、米国はその沖縄統治を自国の議会による立法によってオーソライズする必要があった。しかし1955年の段階でも国防省提出の「琉球列島の管理に関する法律案」は不成立となり、1957年6月5日に「琉球列島の管理に関する行政命令」が発されたが、軍の最高司令官としての権限に基づく命令による占領統治は、平時の「法の支配」にふさわしいものとは言い難いものであった。

 

 1952年民政府布令68号「琉球政府章典」と民政府布告13号「琉球政府の設立」公布され、琉球政府が発足した。布令68号は三権分立制を採用した沖縄住民の自治政府を謳ってはいたが、米軍の代行機関として批判する声も絶えなかった。

 琉球政府の立法権は琉球住民の選挙した立法院に属し、立法院は琉球政府の行政機関及び司法機関から独立して立法権を行使するとされたが、立法権の範囲は布告、布令、指令等に反するような立法は許さず、立法院で可決された法案でも、民政副長官はその施行を拒否し、みずから必要と認める法令を公布する権能を有した。

 第1回の立法院議会は琉球政府発足同日の1952年4月1日に開会した。

 

2 米軍施政権下での立法院の「施政権返還決議」

 

 琉球立法院は、米軍施政権下における軍事植民地から祖国・日本への復帰による権利の快復を要求するために、1952年から1972年までの20年間に27回にわたる「施政権返還に関する決議」を行った。その中でも、1962年2月1日、第19回定例議会の決議は「2・1決議」とも呼ばれ、立法院史上初めて、決議文を日米両政府のみならず、国際連合加盟国のすべての政府に送付され、積極的でない日米両政府を動かし、施政権返還運動の大きな原動力となった。直後に、ケネディ大統領は「沖縄は日本の一部」という声明を発表し、従前とは違う沖縄に対する経済援助を約束させた。日本政府は、国会での野党の追及に対して「植民地ではない」と弁明したが、沖縄問題が全国に認知される契機となり、当時の長嶺秋夫立法院議長が、ラジオの全国放送において、施政権返還決議を支持するように訴えることになった程である。

 

 「施政権返還に関する要請決議」

日本国との平和条約第3条によって沖縄を日本から分離することは、正義と平和の精神にもとり、将来に禍根を残し、日本の独立を侵し、国連憲章の規定に反する不当なものである。しかるにアメリカ合衆国は、軍事占領に引き続き前記の条約によって沖縄を日本統治から分離し、施政権を行使すること16年に及んでいる。この間沖縄住民は日本復帰を訴え続け、琉球政府立法院はその趣旨の決議をもって繰り返し要請続けてきたが、米国は依然として無期限保持の政策を捨てず、ケネディ大統領は去る1月18日に合衆国議会に送った予算教書の中で「米国と自由世界の安全を守るため極東での脅威と緊張が沖縄の軍事基地維持を必要とする限り米国は沖縄管理の責任を引き続き負う」と述べて、従前の態度を改めていない。このようなアメリカ合衆国による沖縄統治は、領土の不拡大及び民族自決の方向に反し、国連憲章の信託統治の条件に該当せず、国連加盟国たる日本の主権平等を無視し、統治の実態も国連憲章の統治の原則に反するものである。われわれは、いかなる理由があるにせよ力によって民族が分離され他国の支配下に置かれることが、近代社会において許されるべきものでないことを強調する。1960年12月第15回国連総会において「あらゆる形の植民地主義をすみやかに、かつ無条件に終結することの必要を厳かに宣言する」旨の「植民地諸国、諸人民に対する独立許容に関する宣言」が採択された今日、日本領土内で住民の意思に反して不当な支配がなされていることに対し、国連加盟国が注意を喚起されることを要望し、沖縄に対する日本の主権が速やかに完全に回復されるよう尽力されんことを強く要請する。

 

3 米軍施政権下での米軍基地関連の事件・事故に対する立法院の対応

 

在沖米軍が引き起こす事件・事故の被害は、一種の人災である。戦後67年もの長きにわたり、沖縄県民は筆舌に尽くしがたい被災地となってきた。夥しい数の事件・事故の内、強姦事件は前述したとおりであるが「沖縄における米軍の犯罪」(福地広昭著)によれば「講和条約前の米軍の不法行為は、敗戦後間もない頃からはじまり毎年発生している。最も多かったのは1948年で229件、ついで1947年205件となっている。

婦女暴行、爆発事故、ガソリンタンクの落下、砒素中毒事件、強姦、殺人強盗など犯罪がたえなかった。射殺された者38人、刺殺7人、撲殺9人、強姦2人、強姦傷害4人、強姦致死4人、轢殺145人、交通事故による傷害108人などとなっているが、これは、補償請求したものだけであり、その後の未請求者数からしても、実数をはるかに越え、氷山の一角にしかすぎない」と述べている。 

 

 戦後、米軍施政権下にあった琉球政府時代には、立法院は1952年から1972年までの20年間に49回開かれ353回の決議が行なわれたが、その内、米軍基地問題に関連して                                                                          107回の抗議決議をした。

 1952年に琉球政府立法院がスタートし、第1回定例会で「琉球人民の基本的人権擁護について」の決議が行なわれ琉球列島米国民政副長官に要請された。内容は「駐屯米軍人軍属並びに諸外国人が、琉球人との間に惹起した不祥事件は年々後を絶たない実情であり、そのために被る琉球人の基本的人権の無視と損害は看過しえないものがあり人道上忍び得ざる所である。よって、本院は琉球人の生存、自由及び身体の安全を擁護する立場から世界人権宣言の精神に立脚して速やかにかかる不祥事件の根絶並びに被害者への公正な損害賠償に対し善処されんことを院の決議により要請するものである」となっている。後述するように、米軍が上陸して以降の戦後の混沌とした中で事件・事故が多発している現状を抗議するものであった。

 

1955年9月14日の第6回立法院で海兵隊の犯した具体的な事件に対する最初の抗議決議がなされた。沖縄中を震撼させた「永山由美子ちゃん事件」である。こともあろうに1週間後には家族とともに家にいた9歳の少女が米兵により拉致され強姦される事件が起きた。立法院は「鬼畜に劣る残虐極まりない凶悪な行為」を強い怒りで抗議した。

「幼女殺人、暴行、誘拐事件裁判の公開並びに過去における軍事裁判の全貌公表に関する要望決議」の内容は以下の通りである。「1955年9月3日石川市内から連れ出された6歳になる幼女が、翌4日嘉手納海岸で無惨な死体となって発見されたが、死体検視の結果暴行を加えられていることが判然となるや全住民は限りない憎しみと憤りを抱くにいたった。

 これは、鬼畜にも劣る残虐極まりない凶悪な行為であって文明社会の名誉を傷つけたものであり、天地・人の共に許し難しいものである。この事件が、先進文化国家としての誇りを有し、且つ、沖縄施政の任に当るアメリカ合衆国の軍人によって惹起されたと云うことは、アメリカ国民の誇りと米琉親善の上から甚だ遺憾とするものである。

 人間と下等動物の区別すらつかぬかかる犯罪行為は今回が最初ではあるが、過去に於て之に類似した幾多の事件が、米国軍人によって発生した事は事実である。然るにこのような数々の事件の処理に対する裁判が、被害者及びその関係者は勿論一般住民に公開されないので沖縄人は、殺され損、殴られ損、辱められ損で、あたかも、沖縄人の人権が踏みにじられ、世界人権宣言の精神が無視されているかの感を抱かしめ、今や一般社会の恐怖、歎きの的となっている。

 今回発生した殺人、強姦、誘拐と云う文明の名に恥じる獣以下の惨酷な犯罪に対しては、米国軍法会議に依る適切、妥当万人をして納得せしめ得る判決を期待し、なお本事件の重要性にかんがみ、裁判の全面的公開を要望するものである。

更に過去におけるこの種の裁判に対する住民の疑惑を解き、米国軍人に対する恐怖と不信を除去する上から、過去に於て取り扱われた沖縄人を被害者とする事件に対する裁判の結果について、その全貌を公表せられるよう併せて要望する」となっており、宛先はアメリカ合衆国極東軍司令官とアメリカ合衆国沖縄駐屯軍司令官であった。

米軍の事故に遭遇し、巻き込まれた犠牲者としては、1948年8月6日、米軍統治下で106名死亡、76名が負傷するという最大の死者を出した伊江島の波止場で「米軍弾薬輸送船爆発事故」がある。

1950年8月2日には読谷村上空を飛行中の米軍機からガソリン補助タンクが落下。民家の庭先で爆発し1人死亡、3人が重軽傷1951年10月20日には那覇市の民家に米軍戦闘機からガソリンタンクが落下。民家は全焼、親子ら6人が死亡するという事故が発生した。

琉球政府立法院は1952年に発足してから抗議決議も幾度となく行ったが、一番悲惨な事故は「宮森小学校へのジェット機墜落事故」である。1959年6月30日、米軍戦闘機が石川市(現在のうるま市)宮森小学校に墜落して11人の児童を含む死者17名、210名が負傷した「ジェット機墜落事故」が発生した。同日琉球政府立法院は「ジェット機墜落事件に関する決議」を行い、琉球列島高等弁務官と空軍第313師団司令官宛に厳重な抗議を行った。

 

1961年12月7日には具志川村(現在のうるま市)でジェット機墜落事故が発生、1962年12月20日には嘉手納村(現在の嘉手納町)の民家に米軍輸送機が墜落し、住民2名が死亡し9名が重軽傷となった。相次ぐ、事故に対して「嘉手納村米軍用機墜落事故に関する要請決議」を行い連続して発生したジェット機墜落事故に対する決議を行った。

 

1965年6月11日には読谷村で米軍のパラシュート降下訓練で落下してきた落下傘をつけたトレーラーが民家の庭先に落下し、遊んでいた小学5年生の棚原隆子さん(当時11歳)が下敷きになって死亡した。翌12日「米軍による投下演習事故に関する抗議決議」が行なわれた。

 

1966年5月19日には米軍の大型空中給油機が嘉手納村の公道を運行中の勢水一男氏を死亡させる事故が起き、翌20日「米軍用機墜落事故に関する抗議決議」を行った。

 

1968年11月19日嘉手納基地内でベトナムに出撃していたB52が墜落して住民4人が負傷した。1968年12月23日に立法院は「B52戦略爆撃機の墜落事件に対する抗議と同機の即時撤去を要求する決議」を行い、米国大統領、米国上院議長、米国下院議長、米国国防長官、琉球列島高等弁務官宛に抗議をした。

決議の内容は「本院はB52爆撃機が1965年7月29日沖縄からベトナムに出撃したことに対し、翌7月30日、米軍が沖縄基地からベトナムへの出撃及び沖縄を戦争に巻き込む一切の行動を即時取りやめるよう院議をもって強く要求し、また、1968年2月5日以来B52爆撃機が沖縄に移駐し、嘉手納基地を拠点として連日作戦行動を展開していることに対し、同年2月10日院議をもって抗議するとともに、同機の即時撤去と沖縄の出撃基地化に反対し、沖縄を戦争に巻き込む一切の戦争行為を即時取りやめることを強く要求した。

しかるに、米国は、沖縄県民のこのような不安と切実な要求を無視し、B52爆撃機の撤去をしないばかりか、連日嘉手納基地からの出撃を強行し、去る11月19日午前4時15分頃、同機が出撃のため離陸した直後、米軍爆弾倉庫地帯の近くに墜落し、同機が抱えていた爆弾とともに大爆発を起こし、嘉手納村民と付近の住民を恐怖のどん底に落とし入れ、屋良小学校をはじめ付近の民家などに多大な損害を与えた。

更にまた、今後このような事故を発生せしめないよう万全を期すとの米軍の言明の直後、1968年12月2日嘉手納飛行場内において再びB52爆撃機の事故が発生した。これらの事実によってB52爆撃機に対する県民の恐怖感はつのり、同機の撤去要求は今やおさえ難い世論となっている。よって本院は、ここに重ねて、沖縄がB52爆撃機の出撃地として使用されることに断固反対し、同機の墜落事故に対し厳重に抗議するとともに、同機の即時撤去と沖縄からの一切の戦争行為を即時取りやめるよう強く要求する」と激しい内容になっている。

併せて、内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長に対しても要請決議が送付された。決議の内容は「琉球政府立法院は1968年12月23日別紙の通り『B52戦略爆撃機の墜落事件に対する抗議を同機の即時撤去を要求する決議』を採択した。政府は、沖縄が日本の固有の領土であり、沖縄県民が日本国民であるとの確認の上に立ち、日本国憲法が国民に保障する生命と安全の確保及び平和を守る立場から、右決議に表明された沖縄県民の切なる要求が実現されるよう、直ちに強力な対米交渉を行うよう強く要請する」となっている。

 

 日本復帰直前の1970年12月24日、琉球政府立法院は頻発する事件・事故に「泣き寝入り」を強いられている不平等の是正を求めるため、「米軍人、軍属による犯罪に対する捜査権及び裁判権の民移管に関する要請決議」を行い、米国大統領、米国国務長官、米国国防長官、米国上院議長、米国下院議長、駐日米国大使、琉球列島高等弁務官宛に送付した。

内容は「沖縄における米軍人、軍属による犯罪については、米軍の占領以来、すべて軍事裁判によって処理されてきた。そのため裁判に対する県民の疑惑と不信を招き、かつ、県民の人権が無視抑圧されたとして多大の非難を受けてきた。そのさなかに、またまた、本年9月18日糸満町(現在の糸満市)で発生した米軍人による金城トヨ轢殺事件の軍事裁判の結果が無罪判決になったことに対し、裁判のやり直しを要求する声が高まる中で、ついに、県民の不満と怒りを爆発させたような騒動事件が去る12月20日コザ市内で発生した事は、われわれの深く遺憾とするところである。われわれは、かかる事件が再び発生しないよう県民の安寧と福祉の確保に努力するものであるが、施政権者である米国政府は、その事件の背景にあるものを深く反省し、その解決に最善の努力を傾注するとともに、次の事項をすみやかに実現するよう院議を持って強く要求する。

1 米軍人、軍属による犯罪に対する捜査権及び裁判権を琉球政府に移管すること。

2 米軍の軍規を厳重に粛正すること。

3 加害者を厳重に処し、裁判と記録を公開すること。

4 被害者に対する公正なる損害賠償を行なうこと」となっている。更に、内閣総理大臣、外務大臣、総理府総務長官、防衛庁長官、衆議院議長、参議院議長宛に「強力な対米交渉をするよう強く要請する」決議も送付した。

 

このような要請が実現することはなく、繰り返される事件事故への沖縄の住民の怒りは「コザ暴動事件」や「祖国復帰運動」のマグマとなっていた。日本復帰後は「日米地位協定」によって引き継がれることになった。しかし、日米地位協定は米軍を守っても、沖縄県民を守らない不平等な制度であった。

 

4 日本復帰後の米軍基地関連の事件・事故に対する沖縄県議会の対応

 

1972年5月15日、悲願の施政権は米国から日本政府に返還された。しかし、日本復帰後も事件・事故は繰り返している。1995年9月4日、沖縄本島北部において、在沖海兵隊員3人が少女を拉致、強姦する事件が発生し、10月21日には8万5000人が参加した県民総決起大会が開催され、この事件を契機に在沖米軍基地の整理縮小や日米地位協定の見直しを求める県民の怒りは頂点に達した。

 

2004年8月14には、米軍普天間基地所属の大型ヘリが隣接する沖縄本島宜野湾市の沖縄国際大学構内に墜落し、死者こそ出さなかったが墜落炎上事故は衝劇的な大惨事で、米軍普天間飛行場は危険な飛行場であり、いつ事件・事故が起きてもおかしくない状態であることが立証された。沖縄本島の面積の約18.4%を占める米軍基地や東洋一の規模を誇る嘉手納基地や普天間基地に起因する事件事故は後を絶たない。

 

日本復帰後2010年までの38年間で、米軍基地関係事件・事故発生件数は1444件で、米軍構成員等による刑法犯罪検挙件数は5705件に上る。沖縄県議会が1972年5月15日から2010年12月31日までに議決した意見書・決議は897件であるが、そのうち米軍基地関係の意見書・決議は359件であり全体の40%を占める。

因みに、意見書の提出について地方自治法第99条では「普通地方公共団体の議会は、当該普通地方公共団体の公益に関する事件につき意見書を国会又は関係行政庁に提出することができる」とされている。復帰後の全会一致で議決された米軍基地関係の意見書・決議の一部を紹介する。

 

1972年10月30日 「米軍基地の総点検に関する意見書」

沖縄の米軍基地の機能及び米軍の装備を明確にし、県民の疑惑と不安を除去するため、早急に米軍基地の総点検を実施するよう強く要請する意見書である。理由は、われわれは、沖縄の施政権返還協定の締結に当って、毒ガス兵器及び核兵器の即時完全撤去を強く要請してきた。沖縄の本土復帰に際し、政府は本土並み基地を強調し、非核三原則に基づき、復帰後の沖縄の米軍基地には核兵器は存在しないし、毒ガスも移送されたと言明してきたが貯蔵されているとの疑いが県民に大きな衝撃を与えたことと、相次ぐB52戦略爆撃機の大挙飛来で米軍基地機能が変わらないことに対する抗議であった。

  

1975年4月5日 「嘉手納空軍基地の再編強化に関する反対決議」

政府は、沖縄の本土復帰に当って、在沖米軍基地は本土並みとなることを強調してきたが、嘉手納空軍基地に常駐している戦闘機の他に、新たな移駐計画やそれに伴う関連施設の整備や弾薬庫の建設等基地機能強化が進められていることに対する抗議であった。

 

1979年6月16日 「5・15メモの全文公表等に関する意見書」

5月2日に金武町伊芸における砲弾破片落下事故について、真相究明を強く要求したにもかかわらず、政府や米軍は県民が納得する説明をしないことや米軍が演習の即時中止を無視している事は5・15メモに基づく演習であると言明していることに対して抗議したものである。

 

1996年1月5日 「沖縄県の米軍基地に関する意見書」

1995年9月4日に発生した米軍人による少女暴行事件は、県民のみならず全国民に強い衝撃と不安を与えた。10月21日の県民総決起大会には両先島を含め9万1000人が結集して県民の怒りが爆発したことを踏まえ、米軍人・軍属による事件や事故の都度が、米軍や関係機関に対して、抗議・要望をしてきたが、このような事件・事故が後を絶たないことに対する抗議であった。今回の意見書・決議では次の4項目が決議された。

1 米軍人・軍属等の教育及び綱紀粛正を徹底し、米軍人・軍属による犯罪を根絶すること。

2 米軍人等による事件・事故の被害に対する完全な補償を行うこと。

3 沖縄県の米軍基地を早急に整理・縮小すること。

4 日米地位協定を早急に改定すること。

 

1996年3月27日 「3事案の早期解決と普天間基地の全面返還に関する要請決議」

沖縄県は国土面積のわずか0.6%を占めるに過ぎない狭隘な県土に全国の米軍専用施設の約75%が集中し、これら米軍基地は県土面積の約11%、人口産業の集中する沖縄本島において実に約18%の面積を占めるなど、本県の振興開発の推進及び県民生活の安定を図る上で基地の存在は大きな障害となっている。1995年の沖縄における施設及び区域に関する特別委員会(SACO)で合意された那覇軍港施設の返還、読谷補助飛行場の返還、県道104号線越え実弾射撃演習の廃止等、3事案の早期解決と普天間基地の全面返還を要請する決議であった。

 

1996年7月16日 「普天間飛行場の全面返還を促進し、基地機能の強化につながる県内移設に反対する意見書」

4月15日のSACOの中間報告で、5ないし7年以内に移設条件付で全面返還されることが決定されたことを受けて、日米両政府は、普天間飛行場の代替ヘリポートを新たに県内の米軍基地内に建設することを検討していることに対して、騒音地域の拡大、事故の危険性、水源や自然環境の破壊などの問題を指摘し、基地機能の強化に繋がる県内移設を反対する決議であった。

 

2000年7月14日 「日米地位協定の見直しに関する意見書」

ドイツのボン協定は、1959年の締結以降3度も改正されているのに対して、日米地位協定は1960年の締結以降一度も改正されていない。日米地位協定が締結されて40年が経過した今、もはやその運用改善だけでは、米軍基地をめぐる諸問題の解決は望めず、県民の生命・財産と人権を守る立場から日米地位協定の抜本的な見直しを求める決議である。

 

2001年3月29日 「米軍CH-53Eヘリコプター接触事故に関する決議」

2月25日に、在沖海兵隊普天間基地所属のヘリコプター2機が普天間基地上空で接触した事故に対して厳重に抗議する決議である。6月13日には、宜野湾市大山上空を飛行中の在沖海兵隊普天間基地所属ヘリコプターから訓練用袋2個が落下するという事故が発生し、7月5日に「米軍CH-53Eヘリコプターからの訓練用袋落下事故に関する決議」を行い、相次いで起こる事故に抗議した。

 

2002年5月10日 「『沖縄振興計画県案』の中に施策を盛り込むことを求める決議」

2002年から2011年までの沖縄振興計画策定に当って盛り込むべき施策に①海兵隊の海外移転を含む米軍施設区域の整理・縮小を図ること。②基地内の環境保全、返還跡地の有効利用の障害とならないよう日米地位協定を改正すること。の2点を要請した。

 

2003年7月14日 「日米地位協定の見直しに関する意見書」

2000年の日米地位協定の見直しに関する意見書を、内閣総理大臣をはじめ内閣官房長官、外務大臣、防衛庁長官、防衛施設庁長官及び沖縄開発庁長官に対して要請を行ったが、この間、米軍人・軍属等の事件・事故は及び犯罪検挙件数はいずれも増加傾向にある。特に、2001年から2002年にかけては、放火事件、女性暴行事件及び未遂事件、さらには戦闘機の墜落事故及び被弾事故など、一歩間違えば大惨事につながりかねない事故や県民の財産と人権を侵害する事件が数多く発生しており、政府は運用改善で対応を図るとして一向に見直しに向けた取り組みを行わないことに抗議した。

 

2004年10月28日 「米軍CH-53Dヘリコプター訓練飛行再開に関する意見書」

8月13日、普天間飛行場に隣接する宜野湾市の沖縄国際大学構内に米海兵隊所属大型輸送ヘリコプターが墜落炎上し乗員3人が負傷する事故が発生し、県民に大きな不安と恐怖与えたことに抗議し、事故原因の究明がなされるまで飛行を禁止する決議と要請をしてきたにもかかわらず訓練飛行を再開したことに対して抗議する決議である。

 

2005年12月16日 「沖縄県の米軍基地に関する意見書」

10月29日の日米安全保障協議委員会(2プラス2)において取りまとめた中間報告で、日米両政府は1996年12月のSACO最終合意の「普天間飛行場の名護市辺野古沖への移設案」を事実上変更して、普天間飛行場の代替施設として「キャンプ・シュワブの海岸線の区域とこれに近接する大浦湾の水域を結ぶL字型に設置する」という新たな移設案が示されており、県民への説明が行なわれていないことや、地元との事前協議のないまま、頭越しに中間報告がなされた事に遺憾の意を表明し、沖縄の受け入れ可能な案を最終報告に反映させるよう要請する決議である。

 

2008年12月19日 「金武町伊芸区での流弾事故に関する抗議決議」

12月13日午後7時29分ごろ、金武町伊芸区の個人駐車場に止めていた車の前方ナンバープレートに弾丸のようなものがめり込んでいるものが発見され、米軍の演習場からの可能性があり、県議会はキャンプ・ハンセンでの実弾射撃訓練を直ちに中止し、事故の原因等の全容を解明することを求める決議を行った。沖縄県警察は、発見された銃弾が米軍が使用している銃弾と弾しんが同種のものとの鑑定結果を発表したが、米軍は米海兵隊の訓練との関係を否定して実弾射撃訓練を継続したことから、2009年3月25日にも、実弾射撃訓練を中止するよう決議した。

 

2009年12月3日 「米軍人車両によるひき逃げ事件に関する抗議決議」

11月7日、読谷村の旧米軍読谷補助飛行場外周道路で、米陸軍トリイ通信基地所属の2等軍曹が男性をはねて逃げ、死亡させた。容疑者は「人をひいたかどうかはわからない」「木にぶつかってフロントガラスにひびが入り、車を降りて確認したが何もなかった」と事件との関係を否認しており、当初は県警の任意の事情聴取に応じていたが、供述を拒否し出頭も拒否していることから県議会は「殺人などの凶悪事件」に該当すると抗議決議した。

 

 

2010年2月24日 「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と県内移設に反対し、国外・県外移設を求める意見書」

県議会は2008年7月18日に「名護市辺野古沿岸域への新基地建設に反対する決議」を賛成多数で可決したが、今回は全会一致の議決となった。宜野湾市民や県民は、最も危険な普天間飛行場を早期に全面返還し、政府の責任において跡地利用等課題解決を求めている。さらに地元名護市長と名護市議会が、辺野古の海上及び陸上への基地建設に反対しており、県民の生命・財産・生活環境を守る立場から、日米両政府は普天間飛行場を早期に閉鎖・返還し、県内移設を断念され、国外・県外に移設することを強く要請するものである。

 

2010年3月25日 「米軍車両によるひき逃げ事件に関する抗議決議」

3月16日、名護市辺野古の国道で、米軍車両が猛スピードで軽自動車に追突し、車両を放置してそのまま逃走するという引け逃げ事件が発生した。乗っていた親子3名は軽傷であったが、軽自動車は大破し、一歩間違うと重大事故であった。名護警察署が車両放置現場に現れた米海兵隊3等兵曹の女性はアルコール検知の結果飲酒運転基準値以上であり、事情聴取を求めたが憲兵隊が女性の身柄を拘束して米軍基地に連行した。結果的に、県警の容疑者逮捕を拒む形になった。県議会は凶悪事件に相当すると抗議して身柄の引渡しを求める決議を行った。

 

2010年7月9日 「米軍普天間飛行場移設の日米共同発表の見直しを求める決議」

5月28日に開催された日米安全保障協議委員会(2プラス2)で、米軍普天間飛行場の移設先を名護市のキャンプ・シュワブ辺野古崎地区及びこれに隣接する水域とすることを合意して共同発表した。この共同発表は「県内移設反対という沖縄県民の総意を全く無視するもので、しかも県民の意見を全く聞かず頭越しに行なわれたものであり、民主主義を踏みにじる暴挙として、また沖縄県民を愚弄するものとして到底許されるものではないという理由で日米共同発表を見直すことを強く要請するものである。

 

2011年3月8日 「ケビン・メア米国務省日本部長の発言に対する抗議決議」

2010年12月、ケビン・メア米国務省日本部長(前在沖米国総領事)は、首都ワシントンで行った米大学生等に対する講義の際、「沖縄の人は日本政府に対するごまかしとゆすりの名人だ」、「沖縄の人は怠惰でゴーヤーも栽培できない」と発言するとともに、日本政府に対しても「沖縄県知事に対し、もしお金がほしいならばサインしろと言う必要がある」と述べたとのことである。この発言は、基地のない平和で安心・安全な沖縄県をつくることを切に願ってきた沖縄県民の心をまさに踏みにじるものであり、県民を愚弄し、侮辱した発言にほかならず、断じて許せるものではない。同氏は米国務省においても、米軍普天間飛行場の移設問題など日米交渉に実務者として深く関与してきた人物であり、今なおこのような認識を持っている事は、極めて遺憾であり、決して看過できるものではないと発言の撤回と謝罪を求めた抗議決議であった。

 

2011年4月25日 「米軍属による交通死亡事故に係る不起訴処分に関する抗議決議」

1月12日の沖縄市の国道で、在沖米軍属の男性が運転する乗用車が対向車線に侵入し、19歳の会社員の運転する軽自動車に正面衝突し死亡させる事故が発生した。去る、3月24日那覇地方検察庁沖縄支部は、自動車運転過失致死罪で送検されていた在沖米軍属を「公務中」を理由に不起訴処分とした。日米地位協定では、米軍人・軍属が起こした交通事故は、米軍側が「公務中」と判断した場合、第1次裁判権は米国側にあるとされており、正面衝突させ死亡させるという米軍属側に重大な過失があるにもかかわらず「不起訴処分」となったことに対して抗議した。

 

2011年6月29日 「嘉手納飛行場における米軍のパラシュート降下訓練中止及び日米地位協定改定に関する抗議決議」

5月20日に米空軍が嘉手納飛行場において、県や周辺自治体、国への事前通告なしにパラシュート降下訓練を実施した事は、訓練の恒常化と固定化につながりかねず、SACOで訓練は伊江島に移すという合意に反し、かつ地域住民に不安と恐怖を与え、到底容認できない。また、1月に発生した交通死亡事故が「不起訴処分」になり米側が米軍属男性を5年間の運転禁止と不当に軽い処分とした事は到底容認できないとして日米地位協定の抜本的な見直しを求める決議である。

 

2011年7月14日 「普天間飛行場へのオスプレイ配備計画に反対する抗議決議」

 米国防総省が、海兵隊次期主力輸送機として垂直離着陸機MV22オスプレイを2012年10月に普天間飛行場に配備することを発表したことに対して、基地周辺は騒音問題、環境問題に対する不安や怒りと墜落への恐怖の声が上がっていることから、県民の生命、安全及び生活環境を守る立場からオスプレイ配備計画の撤回を強く要求する決議である。

 

2011年11月14日「米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対し、環境影響評価書の提出断念を求める意見書」

臨時議会を開き、米軍普天間飛行場を名護市辺野古崎周辺の海域を埋め立てて代替施設を建設するために行われる環境影響評価手続きである環境影響評価書を年内に沖縄県知事に提出する日米両政府の動きがある事から、提出断念を求める意見書を全会一致で可決した。

第3章 日米地位協定が問題となった最近の事例

 

1 米軍構成員等の事件・事故と裁判権

 

沖縄県議会は2011年4月25日臨時議会で「米軍属による交通死亡事故に係る不起訴処分に関する意見書」を全会一致で可決した。内容は以下の通りである。

 

「ことし1月12日、沖縄市比屋根の国道329号で、在沖米軍属の男性が運転する乗用車が対向車線に侵入し、19歳の会社員の運転する軽自動車に正面衝突し死亡させる事故が発生したが、去る3月24日に那覇地方検察庁沖縄支部は、自動車運転過失致死罪で送検されていた在沖米軍属の男性を公務中を理由に不起訴処分とした。

また、昨年9月の岩国基地所属の米軍属による交通死亡事故においても、公務中を理由に不起訴処分になり、その後、基地内の交通裁判で4カ月の運転制限という、驚くべき軽微な処分に終わっている。
 日米地位協定では、米軍人・軍属が起こした交通事故等は、その運転が「公務」と判断された場合、第1次裁判権は米国側にあるとされているが、「公務中」か否かの判断をだれがするのか、あいまいであり、恣意的な運用も可能であると言える。

今回の事故は、普通乗用車を正面衝突させ死亡させるという米軍属側に重大な過失があるにもかかわらず、「公務中」を理由に不起訴処分としたことはまことに遺憾である。
 よって、本県議会は、県民の生命、人権及び安全を守る立場から、米軍属による交通死亡事故に対し厳重に抗議するとともに、下記の事項が速やかに措置されるよう強く要請する。

1 日米合同委員会合意における、「公務中」の範囲を明らかにすること。
2 国内の交通事故について、米国の第1次裁判権を放棄させ、日本の司法で裁くこと。
3 被害者に対する謝罪と完全な補償を早急に行うこと。
4 米軍人・軍属等の綱紀粛正を徹底的に行うよう求めること。
5 日米地位協定の抜本的な見直しを早急に行うとともに、基地の整理・縮小を促進すること。

以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。宛先は内閣総理大臣、法務大臣、外務大臣、防衛大臣、沖縄及び北方対策担当大臣である。併せて、米軍等に対する抗議決議も行い、そのうち在日米軍沖縄地域調整官、在沖米国総領事に対し米軍基地関係特別委員会が直接抗議を行った。 

 

 日米地位協定第17条では「刑事裁判権」について、「合衆国の軍当局は、合衆国の軍法に服するすべての者に対し、合衆国の法令により与えられたすべての刑事及び懲戒の裁判権を日本国において行使する権利を有する。日本国の当局は、合衆国軍隊の構成員及び軍属並びにそれらの家族に対し、日本国の領域内で犯す罪で日本国の法令によって罰することができるものについて裁判権を有する。」「合衆国の軍当局は、次の罪については、合衆国軍隊の構成員又は軍属に対して裁判権を行使する第1次の権利を有する。(a)もっぱら合衆国の財産若しくは安全のみに対する罪又はもっぱら合衆国軍隊の他の構成員若しくは軍属若しくは合衆国軍隊の構成員若しくは軍属の家族の身体若しくは財産のみに対する罪(b)公務執行中の作為又は不作為から生ずる罪」とされている。

 米国においては「人権の尊重」のため、平時、軍属が犯した犯罪は軍法会議の対象ではないとされている。したがって、在日米軍の軍属が起こした事件では軍法会議にかけられることはないので刑事処罰はないことになり、軽易な行政処罰で処理されることになる。今回の交通死亡事故を起こした米軍属は、重大な過失を犯しても、「5年間運転禁止」という軽い処分であった。母親は同年4月25日に那覇検察審査会に不起訴処分の審査を申し立て、那覇検察審査会は5月27日「起訴相当」と議決した。

 沖縄県議会や與儀功貴君の遺族を支える会等の粘り強い要請行動の結果、2011年11月23日日米合同委員会において日米地位協定の運用の改善として「米軍属の公務中の犯罪について、第1次裁判権を有する米側が米国内で刑事訴追しない場合、日本側の要請に好意的配慮を払うとの条件付きで日本国内での裁判を可能とする」ことが合意された。結果的に、この事件を契機に日本側が裁判権を行使できる事に合意し、加害者の米軍属は事件から10カ月にして起訴されることになった。併せて、公務中の範囲は酒が提供される会合も含まれ「飲酒運転」でも公務中と運用されてきたが、12月16日、公の催事での飲酒の場合も含め、飲酒後の自動車運転による通勤はいかなる場合であっても、日米地位協定の刑事裁判権に関する規定における公務として取り扱わないこととして裁判権が日本側にある事が合意された。沖縄県民は「当然」と受け止め、「運用の改善」ではなく「改正」を求めていくことに変わりはない。

 

2 被疑者の逮捕や出頭の実態

 

2009年11月7日、読谷村楚辺の旧米軍読谷補助飛行場外周道路で、在沖米陸軍トリイ通信基地所属の2等軍曹がジョギング中の外間政和さん(66歳)をはねて逃げ、そのまま現場を去り死亡させた。2日後、自動車修理工場にあった容疑者の車から事件が発覚した。飲酒運転の可能性も否定できないのにかかわらず、「人をひいたかどうかはわからない」「木にぶつかってフロントガラスにひびが入り、車を降りて確認したが何もなかった」と事件との関係を否認した。当初は県警の任意の事情聴取に応じていたが、供述を拒否し出頭も拒否していることから、沖縄県議会は12月3日「殺人など凶悪事件」に該当すると抗議決議した。米軍基地内は拘禁状況でもなく、起訴までは逮捕できない事は捜査に大きな支障をきたす。被疑者は任意の事情聴取に応じる必要はないと主張したが、日米地位協定第17条6項では、米側には捜査に協力することが定められている。因みに、福岡高裁那覇支部は「懲役2年8月」の実刑判決を下したが、被告は無罪を主張して上告した。被害者の関係者は「量刑は軽すぎる」と訴えている。

 

2010年3月16日、名護市辺野古の国道で、米軍車両が猛スピードで軽自動車に追突し、車両を放置してそのまま逃走するというひき逃げ事件が発生した。乗っていた親子3名は軽傷であったが、軽自動車は大破し、一歩間違うと重大事故であった。名護警察署が車両放置現場に現れた米海兵隊3等兵曹の女性はアルコール検知の結果飲酒運転基準値以上であり、事情聴取を求めたが憲兵隊が女性の身柄を拘束して米軍基地に連行した。結果的に、県警の容疑者逮捕を拒む形になった。県議会は凶悪事件に相当すると抗議して身柄の引渡しを求める決議を行った。米側に「拷問など自白を強制され、不当な取調べを受ける」という不安があるなら「可視化」や、必要によっては「米側の立会い」を認めてもよいのではないか。強制的に身柄を引き渡すことができる特別協定を結ぶべきである。

 

2011年4月29日に沖縄市内で発生した外国人の少年グループによる強盗事件で、沖縄署は5月27日、事件発生から約1カ月を経て、嘉手納基地内の高校に通う米陸軍兵の息子(16)と米軍属の息子(15)を強盗容疑で逮捕した。2人の逮捕容疑は、午後6時ごろ、沖縄市中央の路上で、15歳の少年が被害少年を羽交い締めにしてナイフを突き付けて脅し、16歳の少年がズボンのポケットから携帯電話と鍵5個(時価合計約3万円)を奪った疑い。県警が発生直後から嘉手納基地内の高校生5人から任意で事情を聴き、5月4日までに2人の逮捕状を取ったが、米軍側が内部調整を理由に出頭要請を拒否。県警は11、12日にも任意で事情を聴き、証拠隠滅や口裏合わせの恐れもあるとして、あらためて米軍側に逮捕の方針を示したが、その後も2人を拘束できない状態が続いていた。16歳の少年は「間違いありません」と容疑を認め、15歳の少年は「やっていない」と否認した。

 

3 米軍ヘリ墜落事故の処理

 

2004年8月13日午後2時15分頃、沖縄県宜野湾市にある沖縄国際大学構内に、米海兵隊所属のCH53D大型輸送へリコプターが墜落し、爆発炎上するという事故が起きた。乗員3人は1人が重傷、2人が軽傷を負ったが、住宅密集地での大事故にもかかわらず、付近の住民に犠牲者が出なかったのは、まさに奇跡としか言いようがない状態であった。しかし、爆発炎上による破片等は、事故現場周辺50カ所近くに飛び散り、乳児が眠る民家の寝室のふすまを突き抜けていたという。

 

テレビで報道される現場の映像は、隣接した普天間基地から大勢の米兵や防護服に身を包んだ兵士等が沖縄国際大学構内に入り込んで事故現場を封鎖し、テープを張って学生や住民の出入りを禁止し、警察官や報道関係者も締め出された格好で法治国家としては信じられない異様な光景であった。ヘリ残骸は県警と米軍の合同現場検証が実現されないまま回収作業が行なわれた。

日米地位協定第23条では、米軍の施設・区域以外での財産保全等の安全確保のための措置は日本の協力を得て認められることになっているが主権が踏みにじられた格好である。米軍が事故現場を封鎖し、県警の合同捜査を拒んだ理由は日米地位協定の実施に伴う刑事特別措置法第13条の「財産権」によるものというのが日本政府の見解で、残骸といえども米軍の財産で、捜索や、検証は米軍の権限の範囲ということである。

 

日米地位協定第3条は「合衆国の権利」として「施設及び区域内において、それらの設定、運営、警護及び管理のため必要なすべての措置を執ることができる」とされており、第5条では「施設及び区域への出入り」「移動」が保証されていることから、基地及び周辺を自由に使用できると勝手に解釈していることも考えられる。米軍の治外法権的な横暴を許さないようにすることが必要である。

結局、沖縄県警察本部は、十分な検証もできないまま「航空の危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律」の第6条第2項違反で検察庁に送致したが、結果的に「不起訴処分」であった。

 

4 航空機騒音の現状について

 

『沖縄の米軍基地』(沖縄県基地対策室)で次のように深刻な騒音被害を報告している。

「米軍基地から派生する基地被害は多岐にわたり、県民の日常生活に深刻な影響をもたらしており、なかでも米軍飛行場からの航空機騒音は、周辺地域住民の生活や健康に重大な悪影響を与えている。

嘉手納飛行場及び普天間飛行場は、いずれも住宅密集地域に隣接しており、同飛行場を離発着する航空機による騒音被害は広範囲にわたり、10市町村の約55万人(沖縄県人口の約41%)に及んでいる。

嘉手納飛行場においては、F-15C戦闘機等の常駐機に加え、空母艦載機や国内外から飛来する航空機による離発着やタッチ・アンド・ゴーなどの通常訓練のほか、臨時的に実施されるORI演習(行動態勢観察)や四半期毎のローリー演習(現地運用態勢訓練=ORI演習の予行演習)、さらには、住宅地域に近い駐機場でのエンジン調整などが行われており、周辺地域住民の日常生活への影響はもとより、学校における授業の中断、聴力の異常や睡眠障害等の健康面への悪影響などがあり、看過できない騒音被害が発生している。

また、普天間飛行場においては、ヘリコプター等の航空機離着陸訓練や民間地域上空でのヘリの旋回訓練の実施などによって、周辺住民に深刻な騒音被害を引き起こしている。

 

沖縄県と関係市町村が共同で実施した両飛行場周辺の平成18年度航空機騒音測定結果によると、24測定地点のうち14地点(58.3%)で国の環境基準値を上回っている。飛行場別にみると、嘉手納飛行場周辺では15地点中1地点(73.3%)で、普天間飛行場周辺では9地点中3地点(33.3%)で環境基準値を上回っている。

各測定地点のWECPNL値(w値:航空等価持続感覚騒音レベル)をみると、嘉手納飛行場周辺では65.0~90.5の範囲内にあり、最高値は北谷町砂辺で記録されている。また、普天間飛行場周辺のw値は62.0~80.7の範囲内にあり、最高値は宜野湾市上大謝名で記録されている。

さらに、常時測定地点における1日平均騒音発生回数は、嘉手納飛行場周辺では嘉手納町屋良の108.8回が、普天間飛行場周辺では宜野湾市上大謝名の59.4回が最も多くなっている。同様に、1日平均騒音継続累積時間について見ると、嘉手納飛行場周辺では北谷町宮城の48分10秒が、普天間飛行場周辺では宜野湾市上大謝名の32分20秒が最も長くなっている。

まt、沖縄県では、平成7年度から平成10年度までの4カ年事業として、両飛行場に起因する騒音が周辺住民の健康にどの程度影響を及ぼしているかを調べるため、「航空機騒音による健康影響調査」を実施した。その調査報告によると、特に嘉手納飛行場周辺地域で、長年の航空機騒音の曝露による聴力の損失、低出生体重児の出生率の上昇、幼児の身体的、精神的要観察行動の多さ等、航空機騒音による住民健康への悪影響が明らかになっている。」

 

嘉手納飛行場の騒音被害については、嘉手納基地周辺の住民が米軍機の騒音による耐え難い精神的苦痛を訴え、早朝及び夜間の米軍機飛行の差し止めと損害賠償の支払いを求め、1982年に国を相手に第一次嘉手納爆音騒音訴訟、2000年に第二次嘉手納爆音訴訟が提起された。福岡高裁那覇支部の判決は、騒音の違法性を認定し、国に約5500人の原告に対し約56億2000万円の損害賠償を支払うことを命じた。米軍機の飛行差し止め請求については棄却した。原告団は、不服として「飛行差し止め」を求めて2009年に最高裁へ上告したが、2011年1月棄却され判決が確定している。2011年4月28日嘉手納基地周辺5市町村に住む約2万2000人を超える大規模原告団が第三次嘉手納爆音訴訟を起こした。

法治国家として、法の番人である司法の場において基本的人権や法の下の平等を保障する日本国憲法に基づいた判決がなされることを期待する。

 

普天間飛行場の騒音被害については、2002年10月に、周辺住民から国及び普天間飛行場司令官を相手に、普天間爆音訴訟が提起された。判決は、ヘリコプターなどの航空機騒音について、爆音による生活妨害や睡眠妨害に伴う精神的被害を認め、「高血圧や肩こりなどのストレスや生活妨害による精神的苦痛の原因になっている」と違法性を認定し、「普天間飛行場の設置、管理に瑕疵(かし)がある」として、国に対して原告全員に慰謝料など約1億4600万円の賠償を命じた。一方、飛行差し止め請求については「国が同飛行場の活動を制限できる立場にない」として棄却した。近々、約3000名の原告団で第二次普天間爆音訴訟が計画されている。

 

5 金武町伊芸区の流弾事件

 

2008年12月13日午後7時29分ごろ、金武町伊芸区の個人駐車場にとめていた車の前方ナンバープレートに弾丸のようなものがめり込んでいるのが発見され、これまでも度々、同様な流弾事件が発生していることから隣接する米軍の演習場であるキャンプ・ハンセンからの可能性があり、沖縄県議会は2008年12月19日「金武町伊芸区での流弾事故に関する抗議決議」を可決し、実弾射撃訓練を中止するよう要請した。沖縄県警察は、発見された銃弾が米軍の使用している銃弾と弾しんが同種のものとの鑑定結果を発表した。

トーマス・シーファー駐日米国大使から沖縄県議会の抗議決議に対して「事実関係は何も明らかになっていない。日米安全保障条約が大変重要な意味を持っている」と我慢することを示唆するような回答の書簡が送付されてきた。

米軍側は米海兵隊の訓練との関係を否定して実弾射撃訓練を継続したので、2009年3月25日に県議会は再度キャンプ・ハンセンでの実弾射撃訓練を直ちに中止し、事故の原因等の全容を解明することを求める決議を行った。

ジェームズ・ズムワルト米国臨時代理大使から「その時刻に、海兵隊は実弾射撃訓練を行っておりませんが、専門家の調査では銃弾が場外に流れる可能性は百万分の1回。我々の基地が日本政府や国民の皆様の多岐にわたる支援を受けていることに感謝している」との回答の書簡があった。

 

沖縄県警察は被疑者不詳のまま米軍の訓練によるものと推認をして「軽犯罪法第1条第11号」投注・発射すなわち「相当の注意をしないで、他人の身体又は物件に害を及ぼす虞のある場所に物を投げ、注ぎ、又は発射した者」として書類送検した。結果的に、日米地位協定で「不起訴処分」になった。

 

 

6 地方税課税と米軍人・軍属や家族の私有車(Yナンバー車両)優遇問題

 

米軍人・軍属や家族の私有車両いわゆるYナンバー車両約2万7000台の自動車登録の実情もでたらめである。長崎県ではYナンバー車両も県民同様、自動車の登録を行う場合は「自動車の保管場所の確保等に関する法律」いわゆる「車庫法」の適用を義務付け、警察署長が交付する車庫証明を添付させているが、沖縄県では免除されてきた。沖縄県警察は「これまでは自動車の保有者等から車庫証明の提出が無いままに登録がなされてきたので、2004年7月20日の日米合同委員会で9月1日からYナンバーの登録に車庫証明を提出することが合意された」との説明があったが、約7600万円に上る県警手数料収入が徴収されていなかったことに対しては謝罪も無かった。結果的に、国土交通省管轄の陸運事務所の車両登録事務に瑕疵があったことが明るみとなり、やっと是正された。

 

米軍人・軍属や家族の私有車両に関する自動車税課税問題は解決されていない。

「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う地方税法の臨時特例に関する法律」第3条によると「地方団体は、地方税法の規定にかかわらず、次の表の上覧に掲げる土地、家屋、物件、所得、行為及び事業等については、同表の中欄に掲げる者に対し、同表の下欄に掲げる地方税を課してはならない」となっている。

 

第4条第2項では「合衆国軍隊の所有する自動車又は軽自動車等のうち、もっぱら合衆国軍隊以外のものが使用するものについては、前条の規定にかかわらず、その使用者に対して、自動車税又は軽自動車税を課する。但し、公用又は公共の用に供するものについては、この限りでない」と規定されている。しかし、日米合同委員会の合意事項で「軽減税率」が適用されることになり、沖縄県条例で県民よりも安い優遇税率で課税されている。例えば、県民一般の自動車税は総排気量1リットル以下の乗用車で2万9500円、2.5リットル以上3リットル以下の乗用車は5万1000円だが、Yナンバーの場合は一律7500円と、およそ4分の1から7分の1に軽減されており、軽自動車税は7500円に対して500円に軽減されている。さらに、県税である「軽油引取税」については米軍基地内で流通する分については非課税となっている。

 

Yナンバー車両の自動車税の軽減額は2万4777台で7億5831万円になるが自主財源確保上の問題について、県総務部長は「約5億5400万円程度は地方交付税として入ってくる」と説明している。少なくとも2億円余の歳入減が生じるほか、地方交付税は国民の税金であり課税自主権の確保に対する毅然とした姿勢が感じられないのは残念であった。

 

 

7 地方税課税と基地交付金

 

「国有提供施設等所在市町村助成交付金に関する法律」は、国が所有する固定資産のうち「日米地位協定の実施に伴う国有の財産の管理に関する法律」の第2条の規定より使用させている固定資産並びに自衛隊が使用している固定資産について、地方税制上非課税となっている所在市町村の財政状況等を考慮して、国が国有提供施設等所在市町村助成交付金(以下、市町村助成交付金)として交付することを定めている。

 

この市町村助成交付金の配分については、毎年度国の予算の定める範囲内において、総務大臣が決定することになっており、市町村助成交付金予算総額の10分の7に相当する額を対象資産価格で按分し、10分の3に相当する額を対象資産の種類、用途、市町村の財政状況等を考慮することになっている。

2011年4月25日の琉球新報は「基地交付金(市町村助成交付金)は固定資産税の半分以下」と報道した。

2010年基地交付金予算総額は267億4000万円で、その内沖縄県配分は26億2256万円である。23市町村の固定資産税相当額は54億4865万円であることから交付率は48%となる。県基地交付金関係市町村連絡会は、国に基地交付金と施設等所在市町村調整交付金の増額を要請しているが、国の資産評価価格さえ知らされていないのが実情である。

 

次に、「日米地位協定」第3条の規定により建設し及び設置した建物及び工作物等の米軍資産に係る、地方税制上非課税となっている所在市町村の財政状況等を考慮して「施設等所在市町村調整交付金要綱」により市町村調整交付金が交付されている。この市町村調整交付金の配分については、毎年度国の予算の定める範囲内において、総務大臣が決定することになっており、調整交付金予算総額の3分の2に相当する額を米軍資産の価格を基礎として配分し、3分の1に相当する額を市町村民税の非課税措置等により市町村が受ける税財政上の影響を考慮して配分する。因みに、2010年度は42億6176万円であった。

米軍基地の所在しない市町村連絡協議会を組織した中南部の5市町村長は、米軍機騒音や米兵の事件事故などの被害を訴え、基地所在市町村と同様な関連交付金や振興策などの財政措置を行うよう国に訴えている。しかし、財政支援欲しさに基地受け入れを容認するという考え方ではないことを明確にしている。

国からの地方交付税に含まれる米軍基地経費の沖縄県への配分は「2001年度で全国では154億円、その内沖縄県分は県、市町村合わせて80億円」との説明であった。

在日米軍専用施設の73.9%を負担する沖縄には、2010年度において防衛施設庁計上の4385億円の内1579億円しかなく、課税自主権により「基地対策税」のような自主財源確保措置が必要である。

 

8 在日米軍駐留経費の日本負担

 

米国防総省がまとめた米国外に駐留させている米軍の駐留経費で世界中の同盟国による2002年度の負担額によると、同盟国全体での負担合計額約85億ドルに対し、日本の負担額は44億1134万ドルと50%以上を占め、在日米軍駐留経費全体の74.5%を負担している。因みに、韓国は40%の負担割合で8億4311万ドルである。

在日米軍の駐留に関して米国の負担を軽減するために、日米地位協定の枠内でという理由で「思いやり予算」が措置されることになり、1978年から日本人従業員の労務費62億円の負担を開始し、1979年から提供施設整備の負担、1987年、日米両政府は、日米地位協定の経費負担原則の特例的暫定措置として、日米地位協定第24条について特別協定を締結し、光熱水費や訓練移転費も負担するようになり、最も多かった1999年には2756億円に膨らみ、2010年当初予算ベースで1881億円の負担(在日米軍の駐留に関する経費の防衛省関係予算は3617億円)となっている。在沖米軍関連の思いやり予算は約368億円余といわれる。

米軍にとって、海外駐留のなかでも日本は「思いやり予算」のために安上がりの駐留の感は否めない。しかし、米軍基地内での住宅や娯楽施設、光熱水費等の無駄遣いの指摘もあり基地運用を検証する必要がある。

在沖米軍関係者は、米軍基地は沖縄の経済に貢献していると説明しているが、約7割は日本国民の税金による負担であることを念頭に置く必要がある。因みに、沖縄県経済への影響度は、2008年の沖縄県民総所得3兆9548億円に対して基地関連収入は2084億円で5.3%を占めるが、米軍基地への依存は著しく低下傾向にある。

沖縄県企画部は、これまでに返還された米軍基地跡の那覇新都心、小禄金城地区、北谷桑江・北前地区の跡地利用の経済波及効果が三地区合計で、雇用誘発者数616人が1万8393人に増え、生産誘発額87億円が2148億円に増加したことを踏まえ、日米両政府が合意した嘉手納飛行場より南の米軍基地約1000haが返還されたときの跡地利用による経済波及効果を9110億円と推計している。したがって、経済波及効果は現在の2647億円の約3.4倍となり、約7万8272人の新たな雇用が創出されるという試算を発表した。

 

9 国内法が適用されない米軍基地

 

読谷村にある米陸軍トリイ通信施設は海岸に接続しており、陸上施設の保全及び汚水処理のために水域が常時使用されている。しかし、5・15メモにより「水域使用制限」があり、「日本政府は、継続的投錨、破壊、建設又はいかなる種類の継続的使用も許可しない。一方、合衆国政府は、この水域内での漁業及び海産物の採取を制限しない」となっているという。

ところが、国や地元自治体や関係者に事前通報なしに、米軍は砂や石を水域に積み上げた。米軍は「提供施設の範囲だから許される」との判断らしいが、海岸法の適用除外は地位協定違反である。日米地位協定第3条は提供施設・区域での米軍の排他的管理権を容認しており、基地内への出入り制限や国内法が適用できない治外法権特区(?)である。

 

日米地位協定第3条第3項で「合衆国軍隊が使用している施設及び区域における作業は、公共の安全に妥当な考慮を払って行なわなければならない」とされているが「自由使用」が実情であり、有名無実規定になっている。

名護市のキャンプ・シュワブは辺野古海岸に接しており海岸線の白い砂浜に提供施設・区域の境界があり、鉄線が張られている。辺野古漁港の港湾区域内の砂浜であるにもかかわらず、国や地元自治体、関係者に協議もなく、いきなり鉄線に替わるコンクリート土台のフェンスが設置される工事が行われた。米軍は、またしても「提供施設・区域内である」と強行した。「環境保全」という観点からは、米軍基地内で燃料の流出、不法投棄、地下水汚染、航空機騒音等国内法が適用されなければ県民の安心・安全は守れないだけではなく基地返還跡地利用で大きな障害となる。抜本的な見直しが必要である。

 

10 米軍基地内の有害物質

 

米政府当局者は2002年8月28日、嘉手納基地や海兵隊のキャンプ瑞慶覧など県内5基地で保管・使用中のポリ塩化ビフェニール(PCB)を含んだ未処理の電気機器が2100トンに上り、在日米軍(3118トン)の約3分の2が集中していることを明らかにした。2000年6月、外務省は、在日米軍のPCB廃棄物は440トンと発表したが、今回の調査では7倍余の約3100トンにはね上がった。
 全体のうち1133トンの米国製機器を米国に移送・処理する詰めの手続きに着手したが、約6割の約1985トンの日本製機器については、米国の有毒物質管理法で米国内への持ち込みが禁じられているため、撤去の見通しは不透明だ。
 2003年11月13日、北谷町桑江の基地返還跡地に残っていた米軍事務所から、PCBの使用が疑われる安定器(コンデンサー)が338個見つかった。現在は、自衛隊那覇基地に保管している。日米地位協定第4条第1項により基地返還時に米側に原状回復義務はなく、PCBは日本側が処分することになる。

 

2002年1月30日、北谷町桑江中学校近くの基地返還跡地土地区画整理区域の工事現場から「ドラム缶に入ったタール状物質」が発見された。県は当該物質投棄の原因者特定のために、米軍提供当時の諸資料や情報の提供を那覇防衛施設局に依頼するとともに、成分分析のためのサンプリングや周辺の土壌、河川、海域、地下水についての環境調査を実施した。県は国に対し、状況を一刻も早く改善するために国が早急に対策を執るよう要請し、防衛施設庁長官や那覇防衛施設局は国の責任で対処する旨の発表を行った。また、北谷町は一時的に町有地にドラム缶の撤去、移動を開始した。県は同年3月にタール状物質等の分析結果の最終報告を行い、環境への影響はほとんどないものと考えているとのコメントを発表した。ドラム缶187本と汚染土約500トンは、当時の那覇防衛施設局の責任によって処分された。

 

2011年3月26日から沖縄市登川の民有地でアスベストや鉛を含む汚染土が保管されていることが発覚し、沖縄市の調査の結果、北谷町桑江から出た汚染土を沖縄防衛局が業者に委託して処分させたものだという。保管場所は農地で農地法違反の状態であり、汚染土の持ち込みを地元沖縄市に約2カ月報告しておらず、「非飛散性」のものだから健康被害を与えるものではないとしているが、沖縄防衛局の管理のずさんさが明らかになった。

 

11  海外における地位協定と比較

 

日米地位協定は、日本が米軍の占領下にあった1952年4月28日発効した「日米行政協定(日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基づく行政協定)」が前身であり、1952年対日講和条約(サンフランシスコ講和条約)で米国の日本占領が終わった時点で、代りに日米安保条約が締結されたこともあって、同条約に基づいた米軍優位の協定内容であったことはいうまでもない。朝鮮戦争勃発で国連軍として介入した米軍は、有事の状態の国連軍の駐留に適用される地位協定を踏襲している。占領米軍は駐留を続けるために米軍優位の不平等性が担保され続けているのが現状であり、1960年新たな日米安全保障条約が締結され、同年6月23日に発効した日米地位協定は約50年余の一度も改定されることなく現在に至っている。

 

米軍の駐留の仕方について我が国とイタリア、ドイツ、韓国と比較しても国民が不平等な扱いをされていることがわかる。

イタリアの米軍基地はすべてイタリアの指令官の下に管理され、米軍がアビアーノ空軍飛行場を使用する際は、地位協定と同種の「基地ないし基地施設の使用についての使用実施手続に関するモデル実務取極」により、飛行場使用を事前に通告し許可を受けなければ訓練は事実上禁止されることになる。例えば、騒音被害防止のため夜間や昼寝時間帯は基地使用ができないという強い権限がイタリアに確保されている。主権国家として当たり前ではあるが、日本とは大違いである。

 

ドイツは1959年に締結した北大西洋条約機構(NATO)軍地位協定を補足する「ボン補足協定」を1993年に改定し、国内法の遵守や基地返還後の環境浄化責任と費用負担を義務付け、基地内の立ち入り調査を認める内容に改正した。第2次世界大戦で連合軍と戦った同じ敗戦国でありながらこれほども違うのである。環境問題は「命」の問題であるからだ。

 

韓国には約2万8500人余の米軍が駐留し、米韓地位協定が締結されており、日米地位協定とほぼ同じ内容であるが、2001年に米韓合意議事録と特例了解覚書に環境条項を創設した。在韓米軍基地で環境汚染事故が起きた場合、迅速な通報を義務付け、基地内に立ち入り調査を実施できることとし、基地返還時に汚染が見つかれば米軍が浄化義務を負うことに改正された。日本が脅威とする北朝鮮と対峙している韓国にできることを日本が着手できないことは看過できない。

 

日米地位協定は第27条の規定により、随時改定できることになっているが、今まで「運用改善」で対応しており実績はない。沖縄県は日米地位協定の改正について全国に問題提起を行い、沖縄県内の全市町村議会をはじめ沖縄県議会、全国議長会或いは全国知事会等からの改定要請を受けて、国会で改定を求める決議も行われたが、その後日米合同委員会の協議の議題になったのかどうかさえ不明である。

日米地位協定の見直しについての国会の対応は、2001年7月10日、衆議院外務委員会が「日米地位協定の見直しに関する件」を決議、2002年3月20日、衆議院沖特委で沖縄振興特別措置法案を可決した際、付帯決議として「日米地位協定の見直しの検討も含め、今後とも沖縄の負担軽減に全力を尽くしていく」ことを可決し、同年3月29日、参議院沖特委で沖縄振興特別措置法案を可決した際、附帯決議として「日米地位協定の見直しの検討をも含め、今後とも沖縄の負担軽減に全力を尽すこと」を可決した。

 

国会における民主党・社民党・国民新党の合同提案等は沖縄県が改正を要求する11項目の抜本的見直しの方向で認識は共通しており、他の各政党が不平等な日米地位協定の見直しを提言していることから、民主党政権で日米地位協定の改正が提起されることが期待される。

県内での事件・事故の事例から、容疑者の起訴前の日本側への引渡しや取調べの可視化等を含めて日米合同委員会での協議がどうなっているか明らかにしてもらいたい。また、韓国やドイツなどの海外事例として「環境条項」の改正が実例としてあることから、米軍基地内の環境汚染についての地方自治体の立ち入り調査、原因究明ができるようにすべきである。さらに、沖縄県にとって基地返還跡地利用が今後の大きな課題となることから、原因者である米軍に原状回復命令を義務付ける事は重要である。

 

12 沖縄県の日米地位協定改正要望

 

沖縄県は、日米地位協定の11項目の改正を要求しているが、日米両政府が優先順位を念頭に協議していくプロセスが必要だとすれば、できるものから着手することも一つの方法である。

沖縄県が日米地位協定の見直しを求めている11項目は次の通りである。

1 第2条関係(施設・区域の提供等)

(1)  日本国政府及び合衆国政府は、日米合同委員会を通じて締結される個々の施設及び区域に関する協定の内容について、関係地方公共団体から、住民生活の安全確保及び福祉の向上を図るため要請があった場合は、これを検討する旨を明記すること。

(2)  日本国政府及び合衆国政府は、前記の検討に際しては、関係地方公共団体の意見を聴取し、その意向を尊重する旨を明記すること。また、施設及び区域の返還についての検討に際しても、関係地方公共団体の意見を聴取し、その意向を尊重する旨を明記すること。

(3)  日米合同委員会を通じて締結される個々の施設及び区域に関する協定には、施設及び区域の使用範囲、使用目的、使用条件等を記載する旨を明記すること。

2 第3条関係(施設・区域に関する措置)

(1)  合衆国軍隊は、施設及び区域が所在する地方公共団体に対し、事前の通知後の施設及び区域への立入りを含め、公務を遂行する上で必要かつ適切なあらゆる援助を与えること。ただし、緊急の場合は、事前通知なしに即座の立入りを可能にする旨を明記すること。

(2)  航空機事故、山火事等合衆国軍隊の活動に起因して発生する公共の安全又は環境に影響を及ぼす可能性がある事件・事故については、施設及び区域内で発生した場合においても、速やかに事件・事故に関する情報を関係地方公共団体に提供すること。また、災害の拡大防止のため、適切な措置を執る旨を明記すること。

(3)  合衆国軍隊の演習、訓練、施設整備等の諸活動の実施に対して、航空法等の日本国内法を適用する旨を明記すること。

3 第3条A(施設・区域の環境保全等)

下記の内容の環境条項を新設する旨を明記すること。

    合衆国は、合衆国軍隊の活動に伴って発生するばい煙、汚水、赤土、廃棄物等の処理その他の公害を防止し、又は自然環境を適正に保全するために必要な措置を講ずる責務を有するものとする。また、日本国における合衆国軍隊の活動に対しては、環境保全に関する日本国内法を適用するものとする。

    合衆国軍隊は、施設及び区域におけるすべての計画の策定に当たっては、人、動植物、土壌、水、大気、文化財等に及ぼす影響を最小限にするものとする。また、当該計画に基づく事業の実施前に、及び実施後においては定期的に、当該事業が与える影響を、調査し、予測又は測定し、評価するとともに、調査結果を公表するものとする。さらに、日米両政府間で、当該調査結果を踏まえ、環境保全上の措置について協議するものとする。

  合衆国軍隊の活動に起因して発生する環境汚染については、合衆国の責任において適切な回復措置を執るものとする。そのための費用負担については、日米両政府間で協議するものとする。

4 第4条関係(施設の返還)

  合衆国軍隊が使用している施設及び区域の返還に当たっては、事前に、日米両政府は、合衆国軍隊の活動に起因して発生した環境汚染、環境破壊及び不発弾等の処理について、共同で調査し、環境汚染等が確認されたときは、環境浄化等の原状回復計画の策定及びその実施等の必要な措置を執ること。そのための費用負担については、日米両政府間で協議する旨を明記すること。

5 第5条関係(入港料・着陸料の免除)

(1)民間航空機及び民間船舶の円滑な定期運航及び安全性を確保するため、合衆国軍隊による民間の空港及び港湾の使用は、緊急時以外は禁止する旨を明記すること。

(2)第5条に規定する「出入」及び「移動」には、演習及び訓練の実体を伴うものを含まない旨を明記すること。

6 第9条関係(合衆国軍隊構成員等の地位)

  人、動物及び植物に対する検疫並びに人の保健衛生に関して、国内法を適用する旨を明記すること。

7 第13条関係(租税)

  合衆国軍隊の構成員及び軍属並びにそれらの家族の私有車両に対する自動車税及び軽自動車税について、民間車両と同じ税率で課税する旨を明記すること。

8 第15条関係(諸機関の管理等)

  第15条第3項を改正し、施設及び区域内の諸機関が提供する役務についても、物品の販売の場合と同様に、日本人に対する役務の提供を制限する旨を明記すること。

9 第17条関係(裁判権)

  合衆国の軍当局は、日本国の当局から被疑者の起訴前の拘禁の移転の要請がある場合は、これに応ずる旨を明記すること。

10 第18条関係(請求権の放棄)

(1)公務外の合衆国軍隊の構成員若しくは軍属、若しくはそれらの家族の行為又は不作為によって損害が生じた場合において、被害者に支払われる損害賠償額等が裁判所の確定判決に満たないときは、日米両政府の責任で、その差額を補填するものとし、補填に要した費用負担については、両政府間で協議する旨を明記すること。

(2)合衆国の当局は、日本国の裁判所の命令がある場合、合衆国軍隊の構成員又は軍属に支払うべき給料等を差し押さえて、日本国の当局に引き渡さなければならない旨を明記すること。

11 第25条関係(合同委員会)

 日米合同委員会の合意事項を速やかに公表する旨を明記すること。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4章 在日米軍と在沖米軍基地の整理・縮小

 

1 在沖米軍基地に整理・縮小

 

国立国会図書館外交防衛調査室・課の『報告書』によると、「日米安保条約では、日本が武力攻撃を受けた場合に米国は日本防衛の義務を負うと規定されており、その代わりに日本は米国に基地を提供する義務を負うことになっている。冷戦が終結した現在でも、日本には85の米軍専用施設が存在し、2009年6月末の在日米軍の兵員数は第7艦隊を入れずに3           万3428人である。在日米軍は、日本への直接攻撃よりも、日本の周辺地域、特に朝鮮半島と台湾海峡における有事を重視した編成をとっており、そのような有事が発生した場合には前線部隊を増援する役割を担っている。その戦力は、在日米軍基地面積の約74%を占める沖縄に集中している。

これは、沖縄の戦略的な位置(沖縄からは台湾海峡、朝鮮半島、東南アジアのいずれにも短時間で展開が可能)と、歴史的な経緯(沖縄は1972年まで米国の統治下にあった)の結果である。在沖米軍基地の大半は市街地に隣接しており、沖縄の県民は基地から派生する多くの問題(騒音、環境汚染、犯罪等)に苦しめられてきた。

 

1995年に発生した在沖海兵隊員による少女暴行事件は、沖縄の不満を爆発させる契機となった。事件後に沖縄では大規模な県民大会が開催され、基地問題への対処を日米両国政府に迫った。この状況を日米同盟の危機として深刻にとらえた日米両国政府は「沖縄に関する特別行動委員会」(SACO)を組織し、事態改善策を協議した結果1996年末に普天間基地の返還等の大規模な在沖米軍基地の整理縮小に合意した。しかし、普天間返還にはヘリを運用するための代替施設を沖縄県内に新設することが条件となっていた。日本政府は、キャンプ・シュワブに近い名護市辺野古の沖合に海上ヘリポート建設する案を提示したが、当時の大田昌秀沖縄県知事は反発し、名護市民投票でも反対派が多数を占めた。

1998年11月の県知事選では、空港の軍民共用化等を条件に受け入れを表明していた稲嶺恵一氏が当選し、1999年末に辺野古沖での代替施設建設の受け入れを決定した。同時期に、名護市も、基地使用協定の締結等を条件に受け入れを表明したが、建設反対運動により実現していない。

 

2003年から在日米軍再編協議が始まった。この結果、2005年2月に、北朝鮮の核開発問題や台湾海峡問題の平和的解決、国際平和協力活動における日米協力、テロの根絶等を日米の共通戦略目標と位置づけた日米共同声明が発表され、在日米軍再編は「地元の負担軽減をしつつも在日米軍の抑止力と能力は維持する」とした。中間報告として「日米同盟:未来のための改革と再編」で在日米軍再編の構想が明らかにされ、キャンプ・シュワブの沿岸部を一部埋め立てて、長さ1800mの滑走路を有する代替施設を2014年までに建設することが合意された。その後、在沖海兵隊のヘリが集落上空を飛行することへの懸念等が日米間で協議され、離陸用と着陸用の滑走路2本をV字型とする案で県知事も名護市長も容認することで合意をした。在沖海兵隊8000人とその家族のグアム移転経費等についても総額102.7億ドルのうち約60.9億ドルを日本が負担することが合意され、さらに嘉手納飛行場より南の施設の返還がパッケージとして明記され、2006年5月に日米両政府は最終報告といえる「再編実施のための日米のロードマップ」を発表した。

 

民主党政権誕生で米軍普天間基地の県外移設等が期待されたが2010年5月に「日米共同発表」が行われ、普天間移設先は「辺野古回帰」が再確認され、2011年6月に「日米2プラス2共同発表」で代替施設での「Ⅴ字滑走路」が決定した。2012年4月の「日米共同発表」でグアム移転を軌道修正し、在沖米海兵隊9000人をグアム、ハワイ、オーストラリアに分散配置・ローテーション展開することと再編計画のパッケージを切り離し、嘉手納より南の施設区域を13分割、3段階で変化することを発表し、2013年10月の「日米2プラス2共同発表」で在沖米海兵隊の国外移転は2020年台前半に開始することとなった。

 

2 米軍普天間飛行場代替施設への県内移設

 

沖縄防衛局の説明によると、米軍普天間飛行場には米海兵隊の第3海兵隊起動展開部隊(ⅢMEF)隷下の第1海兵航空団の内第36海兵航空群などの部隊が駐留しており、普天間飛行場は3つの機能を持っているといわれる。①ヘリによる海兵隊の陸上部隊を輸送する機能、②KC130等による空中給油機能、③緊急時の戦闘機等航空機の受け入れ機能、である。普天間に配備されている空中給油機KC130(12機)については1996年SACO最終報告により広島県岩国基地に移設する。また、緊急時の飛行機の受け入れは2006年ロードマップにおいて、宮崎県の新田原航空自衛隊基地や福岡県の築城基地を米軍が使用することで対応することが明記されている。つまり、普天間飛行場代替施設はヘリによる海兵隊の輸送機能が確保されれば「米軍の抑止力の維持」ができるという説明である。しかし、それでは「何故、抑止力の維持のためには県内移設でなければならないか」が不明である。沖縄防衛局は説明会で「後方支援部隊の陸上部隊との相互連携のために近くに配置する」と述べているが、県民は「県内移設ありき」だと見抜いている。

 

名護市辺野古における普天間飛行場代替施設の概要説明では、「3つの機能が1つに軽減されるといいながら、燃料桟橋・係船機能付護岸・弾薬搭載エリアや4箇所にヘリパットが整備される」と説明する。面積的には、普天間飛行場は約480ヘクタールで滑走路の長さは2800mで、普天間飛行場代替施設は約200ヘクタールで滑走路の長さは1600mが2本のV字型になり規模縮小となるので負担軽減になるという説明である。しかし、代替施設は160ヘクタールの公有水面埋め立てが必要であり、貴重な沖縄の海を埋め立てる緊急性や自然保護を提唱する世界への説明責任は果たしていない。

代替施設埋め立て申請で、これまで説明してきた計画より拡大され軍港機能を備えることが明らかになった。燃料桟橋は200mではなく272mで米海軍揚陸艦が接岸できる規模となり、揚陸艇の水陸両用訓練が可能となる斜路の存在や弾薬搭載区域も拡大される等看過できない。

 

騒音被害軽減については、訓練移転による騒音の軽減を約束しながら外来機の増加により騒音被害は逆に増えている。代替施設からの騒音軽減のためにV字滑走路にしながら、沖縄防衛局は「訓練の形態等によっては集落上空を飛ぶこともあり得る」と見解を述べ、オスプレイの配備についても「CH46、CH53の後継機であり将来的には配備を否定できない」と無責任な説明をしてきたが、県民の反対を無視して2012年10月からオスプレイの普天間基地へ強行配備が始まり、現在24機が駐機して昼夜を問わず訓練で離着陸を繰り返している。「オスプレイの配備」「飛行経路」は、環境影響評価書には明記されず後出しじゃんけんのように米国発表で露見し、追加記載されるという始末である。

 

 名護市辺野古での代替施設建設のための環境影響評価書提出について沖縄県議会は全会一致で断念を求めている。地元名護市も反対しており、仲井真知事も「地元の理解が得られない移設案は実現不可能」という立場で「日米共同発表を見直し、県外移設」を求めている。ところが、多くの県民が反対し、沖縄県庁入り口は提出断念を求める座り込み行動が続く中、沖縄防衛局は2011年末の12月28日午前4時未明に、誰もいない県庁の守衛室に環境影響評価書をこっそり届けるという姑息な手段を用いた。

 

2012年2月20日付けの環境影響評価書に対する仲井真知事の最終意見は「名護市辺野古沿岸域を事業実施区域とする当該事業は、環境の保全上重大な問題があると考える。また、当該評価書で示された環境保全措置等では、事業実施区域周辺域の生活環境及び自然環境の保全を図ることは不可能と考える」と厳しいものであった。しかし、沖縄防衛局は、2013年3月22日付で「名護市辺野古公有水面埋め立て承認申請書」を沖縄県知事に提出した。内容審査の中で沖縄県環境生活部長は同年11月29日付で「生活環境や自然環境保全についての懸念が払拭できないと」と意見を述べ、地元名護市の稲嶺進市長の意見も「本事業の実施は強く反対する」ということであった。

 

3 代替施設としての辺野古新基地建設

 

 仲井真知事は公有水面埋め立て承認申請に対する「承認」「不承認」の判断が注目された。公有水面埋め立て法第4条第1項は「都道府県知事は各号に適合する場合を除き、埋め立て免許を許可することはできない」と定めている。

「1号国土利用上適性かつ合理的であること」については、沖縄防衛局は「実行可能な最大限の環境保全措置を講じる」と記載しているが、名護市辺野古沿岸域は沖縄県が「自然環境の保全に関する指針」で「評価ランク1」(自然環境の厳正な保護を図る区域)に分類されており、整合性が図られないし、国外・県外移設の可能性がありながら美しい環境を破壊してまで辺野古でなければならないという合理的理由は納得できず「不適合」だが、「適合」と判断した。

 

「2号埋め立てが環境保全、災害防止に十分配慮されていること」については、沖縄防衛局は「海草藻場の使用は限定的」「監視・警戒システムを構築し、近づいたら工事を一時的に中止」「適切な措置を米側に働きかける」と記載しているが、ジュゴン保護やウミガメの産卵、サンゴの保護等世界的な環境保護とまったく逆行する。埋め立て用土砂は2100万㎥で、県内の年間海砂採取量の12倍余に及ぶ量だ。埋め立土砂の採取予定地である山口県防府市や周南市周辺は移動が禁止されている外来生物のアルゼンチンアリが繁殖しており対応策について、沖縄防衛局は「混入の可能性について答えることは困難」「手引きに準じた駆除と拡散防止策を講じる」と説明しているが対策になっていない。オスプレイ等の騒音や低周波対策についても配備実態を踏まえた環境保全策は示されていない等々、実態調査・測定も対応策も基準を満たしていないことから「不適合」であることは明らかだが、「適合」と判断した。

 

「3号埋め立て用途が土地利用または環境保全に関する国や地方公共団体の法律に基づくこと」について、地元地方公共団体である名護市長意見で「国や県、名護市が策定した計画との整合性が取れない」と反対を表明していることから「不適合」だが、「適合」と判断した。

 

「4号埋め立ての用途に照らし、公共施設の配慮や規模が適正であること」について、用途と適正な施設かどうかについても疑問は説明されていないため、各号すべてを満たさなければ許可することはできない。

 

 国の公有水面埋め立てにあたって知事の許認可権限は「許可」ではなく「承認」であり、「現在、とりうると考えられる環境保全策が講じられており、法令の基づく基準に適合している」、知事判断に伴う「裁量の範囲は狭い」という理由で承認せざるを得ないと説明している。

 

 仲井真知事は、2013年12月定例議会一般質問途中の12月9日から「腰痛」を理由に本会議を欠席して東京にいた。2014年度政府予算内示を目前にした12月17日、「沖縄振興政策協議会」が開催され、仲井真知事は安倍総理大臣に「沖縄振興及び基地負担の軽減に関する要請」を手渡した。要請内容は、沖縄振興予算等の確保の他、これまで県議会や県民には説明されなかった「米軍普天間飛行場の5年以内の運用停止」を含む4つの米軍基地負担軽減内容であった。12月25日、総理官邸で安倍総理大臣は仲井真知事に対して「予算案は概算要求を上回る3460億円を確保した。安倍政権は引き続き沖縄振興と基地負担軽減で沖縄の気持ちに寄り添い、政府一丸全力で各種諸策に取り組む」と回答した。仲井真知事は「驚くべき立派な内容を提示され140万沖縄県民を代表して心から感謝申し上げる」と述べた。沖縄県民が豹変した知事を激しく抗議する中、12月27日に仲井真知事は公有水面埋め立て申請を承認することを記者会見で発表した。内容は「基準に適合していると判断し、承認することとした」「政府から提示された沖縄振興策は県の要望に沿った内容が盛り込まれている」「5年以内の普天間飛行場の運用停止、すなわち危険性の除去は安倍総理から認識を共有するとの表明があり、5年以内の運用停止政府として取り組むとのことである」と述べた。県民からは「実質的に0回答」「意味不明」「口約束」「裏切り」「辞職要求」等々の怒りの声が上がった。

 

 沖縄振興と米軍基地負担をリンクさせ、県民を裏切り、辺野古の新基地建設を受け入れる代わりに沖縄振興を促進するという前代未聞の県民不在の駆け引きを行った。琉球新報社と沖縄テレビ放送が合同で12月28日、29日緊急世論調査を行った結果「知事承認不支持」は61%で、普天間飛行場の返還・移設問題の解決の解決策については「県外・国外、無条件閉鎖・撤去を求め、県内移設に反対する」意見が73.5%を占めた。

 

「沖縄振興予算」確保とリンクした「埋め立て承認」判断という指摘を否定する仲井真知事は「公約違反」「県民裏切り」との批判が高まる中、2014年1月10日の沖縄県議会臨時会で「仲井真知事の公約違反に抗議し、辞任を求める決議」が賛成多数で可決された。地方自治法第100条に基づく特別調査委員会が設置され、厳しい調査が行なわれた。

 

2014年1月19日施行の名護市長選挙の結果、「名護市辺野古の海に陸にも新基地はつくらさない」と訴えた現職の稲嶺進市長が1万9839票を獲得し、仲井真知事と連携して辺野古埋め立て承認を容認し新基地建設受け入れを訴えた末松文信氏に4155票の大差で2期目の当選を果たした。仲井真知事は「地元名護市の理解が得られない辺野古移設は実現不可能」と発言していたが現実のものとなった。

 

2014年3月20日の沖縄県議会予算特別委員会の知事総括質疑で仲井真知事は「5年以内の運用停止の実現性」について「政府は検討会議を発足させたし、実現に取り組み、実現するでしょう」と自信たっぷりの答弁をし、「辺野古埋め立てを承認しても地元名護市長は反対しており、辺野古移設は事実上不可能。普天間基地の5年以内の運用停止が実現可能な危険性除去であり、辺野古の埋め立ての必要性はない」との指摘には「機能のすべてが移設するのではない」と詭弁に徹した。照屋寛徳衆議院議員の国会質問に対して大臣答弁は「知事の要請の内容については答弁することは差し控えたい」というちぐはぐぶりが露呈した。

 

 2014年11月16日施行の沖縄県知事選挙の結果、「イデオロギーよりアイデンティティー」「オール沖縄」「建白書の実現」を訴えた翁長雄志前那覇市長が36万票を獲得し、仲井真弘多知事に約10万票の大差をつけて当選した。米軍普天間基地の名護市辺野古移設の是非が最大の争点となり、投票率は前回を3.25ポイント上回り64.13%と高い関心が示され、「名護市辺野古に新基地はつくらさない」と訴えたことが県民の共感を呼んだ。

 

沖縄県議会は「米軍普天間飛行場の閉鎖・返還と県内移設に反対し国外・県外移設を求める意見書」を全会一致で決議し、仲井真知事も「辺野古は事実上不可能」と2期目は県外移設を公約にして当選した。県内41市町村長や市町村議長や県議会全会派が「建白書」でオスプレイ配備撤回や県内移設断念を安倍総理に直訴してきた。県選出自民党国会議員5名も「県外移設」を公約にして当選したにも拘らず、政府と石破自民党幹事長の圧力に屈して県内移設を容認した。仲井真知事も病気入院を口実に上京中に政府と接触し、沖縄振興策とリンクしたかのように「いい正月が迎えられる」と得意げに報道された。そして、県政与党公明党の県外移設を求める提言や県議会決議を無視し、辺野古移設に反対する約8割の県民を裏切って名護市名辺野古埋め立て承認」をした。

 

沖縄県議会は1月10日臨時議会で「仲井真知事の公約違反に抗議し、辞任を求める決議」を可決した。知事は「公約違反ではない」と言い訳したが県民には通じなかった。沖縄は「アメとムチ」「ゆすりとたかり」という誤解を助長して傷つけられた「ウチナーンチュの誇り」は知事選圧勝で取り戻した。県民の良識の勝利である。仲井真知事は知事選政策発表で「県民の皆様に誤解を招いたことは私の不徳の致すところ。冒頭に一言お詫びを申し上げる」と述べたと報道されたが時遅しであった。

 

 県知事選挙で示された民意を実現する責任は大きい。辺野古新基地は埋め立てが承認され既に着工していることから「埋め立て承認」の取り消し、撤回が喫緊の課題である。沖縄防衛局の環境アセスに対して「環境の保全は不可能」という知事意見をまとめた県環境部や外部専門家の意見を聞き、日米両政府に民意を訴え阻止してもらいたい。

 

 

 

 

 

 

 

あとがき

 

 2011年3月11日「東日本大震災」が発生し、東北地方を中心とした地震と津波で未曾有の大災害に見舞われた。その影響で、福島第一原子力発電所でメルトダウンを起こす「ランク7」の原子力発電所事故が起き、日本は国難ともいえる非常事態にある。世界中が注目している中、日本は国民の安全と安心を守り、世界と共存する社会を目指すためにも「脱原子力発電」の英断を下し、「自然再生エネルギー」への転換を図る必要がある。

 

 沖縄県にあっては、米軍普天間飛行場は宜野湾市民9万3000人の市街地の真ん中にあり、約30の学校、病院、福祉施設に囲まれる「世界一危険な飛行場」であり、大型軍用ヘリが離着陸するたびに住宅街の上空をすれすれに飛び、爆音被害や墜落事故の発生により恐怖の日常生活を強いられており「人災」そのものである。沖縄での早急な「人災」の回避措置は国家の責任である。しかし、日米両政府は米軍普天間基地の閉鎖・返還の条件として、名護市辺野古に代替施設を約4000億円の巨費を投じて建設するという県内移設を強引に進めており、移設できなければ現状のまま使用を続けると言っている。

 沖縄県民の反対を無視し続けると「怒りのマグマ」は爆発し、在沖米軍基地の全面撤去運動へ展開していくことになり、日米関係は取り返しのつかない状況に追い込まれるだろう。

 東日本大震災対応の膨大な復興予算の確保や借金大国となった日本政府の財政状況と米国の財政状況や米国防権限法の議決状況等を勘案すれば、国民世論とかけ離れた日米両政府の軍事優先の在り方は大きく見直されることになるであろう。

 

新しい時代の日本の役割は平和と繁栄であり、アジア太平洋における平和の発信拠点として日本の役割・使命を果たすための外交と安全保障の決断と対応が急務である。しかし、日本政府は中国や北朝鮮等の周辺諸国を脅威あるいは仮想敵国と見做し、沖縄に海兵隊などの米軍が駐留することで「日本にはうかつに手出しができない」という抑止力を過信した安全保障政策をとっている。

防衛省は我が国の安全保障環境について「北朝鮮軍事動向は日本の安全に対する重大な脅威で、中国の国防政策の不透明さや軍事力の動向は、我が国を含む地域、国際社会にとって懸案事項」という認識で、米国と同盟関係を結び、その抑止力を活用することにより、わが国の安全が確保されていると説明している。在沖米軍については、「沖縄は、米本土やハワイ、グアムなどに比べて、我が国の平和と安全にも影響を及ぼしうる朝鮮半島や台湾海峡といった潜在的紛争地域に近い位置にある」「我が国周辺で、万一紛争が起こり、沖縄を含む我が国に波及するおそれがあるとき、沖縄に駐留する米軍は、緊急に展開して迅速に事態に対応することができる」と地政学的位置の戦略的要衝としているが疑問だらけである。

 

 2011年7月10日沖縄タイムスは、海外駐留米軍の課題をアイゼンハワー米大統領に報告した「ナッシュ・リポート(1957年)」で、過密な在沖米軍基地は敵からの先制攻撃に極めて弱く、特に空軍や海兵隊を他の極東地域やサイパン、テニアンへ分散配備するよう進言していたことを報道した。4月13日同紙は、バーニー・フランク米下院議員(民主党)ら超党派の有力議員で組織する「軍事費削減委員会」の提言書で、「在沖米海兵隊の撤退」が提言されていることも報道した。そして、提言書の作成に係ったケイトー研究所クリストファー・プリブル外交政策研究部長が普天間飛行場の危険性について「米軍基地と住宅地が密接しているなんて米国では考えられない」と述べている。

2011年4月27日沖縄県を視察したカール・レビン米上院軍事委員長、ジム・ウェブ上院議員は、沖縄の政治情勢を考慮して「現行再編計画は非現実的で、実現不可能」と、普天間飛行場の移設に関して名護市辺野古崎水域で進めることを批判した。さらに、ジョン・マケイン上院議員も含めた3名の共同声明でも「現在の国防総省の再編計画は非現実的で、実行不可能で、経費に見合わない」と述べていることが報道されている。

 

これまで在沖米海兵隊の重要視する立場にあった日米安全保障に強い影響力のあるジョセフ・ナイ元国防次官補が米紙ニューヨークタイムズで論文を掲載した。内容は、オバマ大統領が米海兵隊をオーストラリアに2500名駐留させる計画を発表したことを評価した。「沖縄県内に海兵隊を移設する現在の公式計画は沖縄の人々に受け入れられる余地はほとんどない。密集地域にある普天間飛行場が摩擦を引き起こし、私たちのより大きな戦略に影を落としている。アジア太平洋地域からの撤退という誤ったシグナルを送ることなく、オーストラリアから自由に訓練することができるからだ」という。日本の防衛省が「沖縄の地理的優位性を根拠に、在沖海兵隊が一体的に行動することが効果的な戦力を発揮する」と説明してきた根拠は崩れた。

 

時は今、オバマ大統領が財政再建のため国防予算の大幅な予算縮減を発表している中で国外駐留軍の見直しも当然対象になる。米国議会では近年、国防権限法の協議が難航している。トリガー条項で解釈すれば、2013年から10年間で約92兆円の強制歳出削減となる。半分は国防費が占める。共和党は安全保障上の問題があるとの立場から回避を模索しているが、民主党は増税による赤字削減を求めたのに対して共和党は社会保障費の大幅カットを主張して、増税に反対しているため与野党が一致していない。パネッタ国防長官は米軍が空洞化すると強い懸念を示している。在沖米軍再編にも大きな影響が出ると考えられる。

 

日米両政府は、在沖米海兵隊8000人とその家族をグアムへ移転することを合意し、米国防総省もグアムのアンダーセン基地整備を中心とした「軍事マスタープラン」を策定している。北マリアナ連邦議会は普天間基地所属の海兵隊4000人及びその家族をテニアン島に駐留することを歓迎する決議を行っている。

在沖米海兵隊いわゆる第31海兵遠征部隊は、イラク・アフガニスタンへ派兵され、韓国、フィリピン、タイ、オーストラリア等の米国の同盟国と共同演習を行っており、沖縄に常駐しているわけではない。国内の自衛隊基地等でも共同演習が行なわれており、今後、日本政府や国民が日米同盟の必要性が重要と考えているなら、米軍普天間飛行場の県外移設の可能性について個別具体的に検証し、海兵隊の暫定的な駐留や演習受け入れの可能性について早急な検討がなされるべきではないだろうか。

SACO 合意や米軍再編計画が実施されても、在日米軍専用施設の約70%が沖縄に残る。普天間飛行場は在沖米軍基地面積の僅か2%に過ぎず、宜野湾市街地のど真ん中にあり、県民への危険性の除去は普天間飛行場の早期閉鎖・撤去である。

 

 2013年11月に日米外務・防衛局長級協議で「米軍普天間飛行場の5年以内の運用停止を日本側から要請されたが米側は非現実的と拒否した」ことが報じられている。仲井真知事は県民に対して「基地負担の軽減と危険性の除去」を口実とし、政府に対して「日米同盟の応援団として基地受け入れ」を条件に猿芝居を演じた。戦後69年、米軍による「銃剣とブルトーザ」による強制的基地建設がすすめられ、日本政府の「差別・抑圧」による過重な基地負担の押し付けの歴史は、仲井真知事によって「金のためなら基地受けます」という誤った情報を発信することになった。残念である。今後は「裁判闘争」と「住民運動」で「知事判断」が間違っていることを立証したい。

 

 米軍普天間飛行場の県内移設や県外・国外移設の是非を争点にした名護市長選挙では日米両政府が合意した県内移設のための名護市辺野古の海にも陸にも新基地はつくらさないと訴えてきた稲嶺進名護市長が2期目の当選を果たした。

 日米両政府や全国が注目した沖縄県知事選挙では「イデオロギーよりアイデンティティー」とオール沖縄の「建白書」の実現を訴え、「辺野古に新基地はつくらさない」と公約した翁長雄志前那覇市長が圧勝した。

 

 普天間飛行場の県内移設を認めない地元名護市民や沖縄県民の民意は明確に示された今、日米両政府は名護市辺野古移設計画を見直し、国外・県外へ移転して普天間基地の閉鎖返還をすべきである。それが民主主義国家である。国土面積の僅か0.6%の沖縄県に在日米軍専用施設の約74%を押し付ける差別を続けるなら国連や世界世論を巻き込んだ差別撤廃運動が起きるだろう。

 

 基地経済は県民所得の5%に過ぎない現状と県内の返還米軍基地の跡地利用により雇用や税収、経済波及効果が飛躍的に発展してきた実例を踏まえ、翁長雄志新沖縄県知事が訴える「基地は経済の最大の阻害要因」ということから東洋最大の機能を有する「嘉手納空軍基地」の閉鎖・返還運動に広がっていくであろう。日米関係が悪化しないための沖縄の自己決定権に対する対応を軽視できないはずだ。

参考文献抜粋

『琉球・沖縄史』新城俊昭著

『沖縄 空白の一年』川平成雄著

『日米不平等の源流』琉球新報社

『砂上の同盟』屋良朝博著

『沖縄の米軍基地』沖縄県基地対策室

『沖縄の米軍及び自衛隊基地』沖縄県基地対策室

『ありんくりん』沖縄県議会事務局

『沖縄県議会史』沖縄県議会

『沖縄振興計画総点検報告書』沖縄県

『沖縄に基地はいらない』アレン・ネルソン国弘正雄共著

『沖縄における米軍の犯罪』福地広昭著

『普天間交渉秘録』守屋武昌著

『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』佐野眞一著